偶然の必然
「日本脱出」
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日常から飛び出した現実にはリアリティーがない。高校の頃、学校のある駅を通り過ぎて電車に乗りつづけたことがある。国分寺に着いた中央特快のドアが閉まると僕は何か大事なものをつかみ損ねた気がした。電車が動き出す。見なれた駅の後ろ姿はなんだか新鮮だった。朝8時の上りの中央線には現実に追われたり、日常を追いかける人であふれていた。「勝手にやってろ。」僕はつぶやいた。自分が思っていたより大きな声が出てしまい、乗客の何人かが僕を見ることなく僕の存在を意識した。それでも僕は何も感じなかった。僕の現実は日常をとり損ねてからどこかに行ってしまったようだ。僕は目を閉じ、どこまでもどこまでも揺れにからだを任せた。
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僕はなんとなく大学生になり、気付くと成田空港へ向かう電車に揺られていた。冬の昼下がり、車両には76人の男と女が座ったり立っていたりしていて、やわらかい日の光と少し効きすぎの暖房が僕の眠気を誘った。頬杖をつくと髭をそり忘れているのに気付く。家を出た時から何かを忘れているような気がしていた。嫌な予感ばかりが当たる冬だった。
二十歳の冬、何もかもが最悪だった。やるべき事を先送りし、どうでもいい事に夢中になってはつまずいた。くだらない大学、バイト、飲み会、麻雀。それと気休め程度の一夜漬け。もっとも今年は一夜漬けすらしなかった。そんな、きしんだ生活のサイクルは僕の心と体を少しずつ疲れさせた。長距離ランナーが同じところを周りながら少しずつペースを落としていくみたいに。僕はこんな不毛でくだらないレースはやめにして、どこかに思いきって飛び出そうと思った。テストの終わりを待つようにして僕は旅に出た。
この物語はパッとしない大学生のチョットした冒険小説である。
第一章 ラテンアメリカ
「ラテンの国へ」
アメリカのアトランタで飛行機を乗り継ぎリマのホルスチャベス空港に着いた時、早くも日本を出て丸一日が過ぎようとしていた。僕はたまらなく疲れていた。タロップを降りると早朝にも関わらず、すでに蒸し暑かった。滑走路を歩いてターミナルビルへ行く。入国審査へ向かうと、機内でとなりに座っていたペルー人のおばあちゃんが荷物を重たそうに引きずっていた。確か名前はエレナと言っていた。飛行機がつくなり真っ先に降りていった彼女だったが、今ではほとんどの人にぬかされていた。機内で入国カードの書き方やリマの見所を教えてくれた礼に僕は彼女の荷物を運ぶのを手伝うことにした。
「エレナ、さっきはありがとう。荷物持つよ。」
「ありがとう、息子よ。」 そう言いながらエレナから手渡された荷物は意外と重かった。入国審査の係官は無愛想に手早くパスポートをめくり、覗き込むような目で写真と僕の顔を交互に見て、スタンプを押すとあごで行っていいと指図た。
リマの朝はかすみがかかり、車の騒音と犬の鳴き声が朝をみんなに知らせるようだった。空港で荷物を持ってあげたことがきっかけで僕はエレナの家に招かれ、屋上にある部屋をあてがわれそこで寝泊まりしていた。他人の家だとどうも早く起きてしまう。朝のつかの間の冷気は子供の頃の夏休み早朝ラジオ体操の空気に似ていた。冷気の中に宿命的な暑さをはらんでいた。暑い一日になりそうだった。今日はエレナの孫のカレンと、彼氏のアレハンドロと海に行く予定だ。エレナには僕と年頃の近い孫が 4人いたが一番年上のカレンが休暇中という事もあって、いつも僕の面倒を見てくれていた。朝飯を済ませた後、僕らはタクシーで海岸へ向かった。リマ市内の渋滞はひどくクラクションが絶えず鳴り響いていた。そして、だれも信号や車線を守らない。3車線の道路に5台の車が仲良くならんで走っていたり、あるのはドライバーとドライバーの駆け引きだけだ。何度か事故に出くわしそうになりながら海に着く。目の前に広がった黒い重たそうな砂浜と紺色の海は湘南ようだった。さすがは同じ太平洋だ。そんなことを考えながら足を海水にひたすと飛び上がるほど冷たかった。南極から流れてくる寒流の影響だ。あたりを見るとほとんどの人は砂浜で日光浴をしていた。
「ここは泳ぐところじゃないのよ。」 ビキニ姿のカレンが横たわってそういった。アレハンドロもがっしりとした褐色のからだを横たえ、目を細めてその通りだという顔をした。僕らは 3人で川の字になって日光浴をすることにした。
昼、家に戻りセビーチェという魚介類と野菜をレモン汁と唐辛子で味付けした料理を食べた。南米風ピリ辛マリネといったところだろうか。酸味と辛さが効いてとてもうまかった。昼飯を済ませると日焼けしてほてった体に誘われ昼寝をむさぼる。
目を覚ますともう日が傾きかけていた。まどろんだ空気の中、頭を抱えるようにしてテラスにでた。夕日に照らされたオレンジの町は昼間よりも明るく感じた。
「良く眠れた?」エレナの孫で女子高生のシルバーナが犬とじゃれながら言った。
「ああ。」寝ぼけた僕の頭が言った。リマに来て 4日が過ぎた。見所も見たし、海にも行った。いつまでもエレナの世話になる訳にもいかない。
「明日ここを出るよ。」シルバーナは犬とじゃれるのをやめ僕を見た。
「ナスカへいくよ。」続けて僕は言った。
「もっといればいいのに。いつまでいても構わないわよ。」
「ありがとう。でもそろそろ行かないと。先が長いからね。」
「そう、さびしくなるわ。」
僕らはテラスに腰をかけ、さわやかな風を全身に受け、ストリートサッカーをながめていた。乾いて少し涼しい風は日本の夏の終わりを感じさせた。僕はなんだかさびしい気持ちになった。このまま、ずっとここにいたい気もした。
翌朝、ぼくは世話になったお礼にリマ市内の中級ホテルの代金をガイドブックで調べ、 3泊分のお金をエレナに受け取ってもらった。
「ありがとう。」と遠慮なしにもらうところに文化の違いを感じた。みんなにお礼と別れを告げると、その別れ際、お手伝いのブーチャンがサッカーチームのゲームシャツをくれた。彼女はサッカーの試合となると仕事そっちのけでアリャンサリマの応援に夢中になり、エレナをあきれさせていた。
「リマに来たら、いつでもいらっしゃい。」家政婦の言う言葉じゃないように思えたがとにかくぼくは礼を言いユニホームを受け取りエレナの家を後にした。
「錆びたマキビシ」
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双眼鏡を覗き込むゴンザレス。一台のバスがエンジンブレーキを唸らせながら崖沿いの曲がりくねった道を下っていた。ゴンザレスは崖の陰に身を潜める部下に合図した。部下のペドロは長年の経験からバスの後輪が通る場所を心得ていた。ゴンザレスの合図を見たペドロはハトに豆でもやるように錆びたマキビシを道路に撒いた。ペドロは再び崖の陰に身を隠し、たばこに火をつけた。次第にバスの唸る音が近づき、マキビシを撒いたあたりを通った。何かが食い込む鈍い音とともにバスは速度を落とし、下り坂が終わり少し開けたところで死んだイモムシのように動かなくなった。ゴンザレスは悔しいそうな顔をして出てきた運転手を見て髭をなでながらニヤッとした。そして、マンゴーとジュースをつんだトラックのエンジンをかけた。
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昼過ぎ、ナスカ行きのバスに乗り込み、物売りの掛け声とクラクションの鳴り止まないリマを抜けると辺りは荒涼とした砂漠へと姿を変えた。砂漠は吸い込まれるように海と接し、打ち寄せる波は諦めたように砂漠に吸い込まれていた。時より見かける海水浴場はその淋しげな景色のせいで華やかさを決定的に欠いていた。
途中、曲りくねった下り坂でタイヤがパンクした。運転手は悔しそうにハンドルをたたきバスの外へ出ていった。すると腕ぷしの強そうなゴロツキたちが「俺の出番だ。」とでもいうように次々と運転手の後に続いて降りていった。彼らは汗と油にまみれた運転手にああでもないこうでもないと言いながら修理を手伝っていた。停まって風の来ない車内は暑く、ほとんどの人が外へ出ていた。するとどこからともなく髭をたくわえた物売りが現われ、途方に暮れる乗客たちの中にジュースやマンゴを手に飛び込んでいった。辺りは見渡す限りの荒野と崖だった。彼がどうやって故障中のバスを見つけたかはわからないが、ともかくよく売れていた。
「アリャンサ教」
予定を一時間ほど遅れて、ナスカに着いた。ガイドブックに乗っている安宿に部屋を取り、宿のとなりのツアーオフィスに行く。そこで明日のナスカの地上絵ツアーに申し込んだ。 40分のフライトで3500円ぐらい。思っていたより安かった。部屋に帰り寝ようとすると僕の部屋の上でパーティーが始まった。ベースの音がずしずしと響き、それにあわせて歓声が沸き上がる。おかげで僕は3時間ごとに目を覚ますはめになった。
早朝6時半に起き、身支度を済ませツアーバスで飛行場へ向かう。飛行場といっても造りかけの道路のような滑走路が荒野に一本延びているだけだった。滑走路脇の小屋で簡単な手続きを済ませ、セスナ機に乗り込んだ。座席に腰を落ち着けるなり、セスナ機は加速を始め嬉しそうに青い空へ舞い上がった。パイロットは地上絵の上にさしかかるとその上を何度も旋回しながら、「あれがハチドリだ。」などと説明した。白く乾いた荒野に刻まれた巨大な絵は消えかかっていて何の絵か見極めるには観察力と想像力を必要とした。
ナスカの地上絵を見てしまうともうナスカにいる価値はないと思うほど、ナスカは退屈な町だった。僕はここから南にあるアレキパという街に行く事に決めた。午後 7時半発のバスのチケットを買ったのだが8時を過ぎてもバスは来る気配すらない。ビールを飲みながら待っていると
「アリャンサリマは最高のチームだ。」
とバス会社の職員が話し掛けてきた。その日、僕はブーチャンからもらったアリャンサリマのゲームシャツを着ていた。僕はピーナツの皮をむきながらバス会社の職員に言った。「バスはいつ来るんだ?」
「問題ない。おまえがアリャンサファンなら俺とおまえは友達だ。」
そういえば今日町を歩いているといろんな奴が僕に向かって「アリャンサリマ!!!」と声を掛けてきた。本に「南米においてサッカーは宗教である。」と書いてあったがアリャンサリマのゲームシャツを着た事で僕もアリャンサ教の信者という事らしい。バス会社の職員は僕の手を取り握手をすると、
「バスは後30分で来るさ、アミーゴ。」といい残しカウンターへと去って行った。結局、それから 3時間が過ぎ、ドイツ人バックパッカーのカップルがキレ始めたところにようやくバスは来た。ドイツ人バックパッカーに詰め寄られ、あたふたしながら言い訳をしていたバス会社の職員は「アレキパー」と叫びながら待合所を飛び出し中央分離帯の柵を軽々と飛び越え、ロスタイムにゴールを決めたサッカー選手のように大喜びでそこらじゅうを走り回っていた。
朝 9時過ぎ、ようやくアレキパに到着。ナスカで泊った宿の姉妹店というペンションに部屋をとり、ミスティ山といわれる富士山そっくりの山を見に行った。山のシルエットといい、雪化粧の仕方までそっくりで日本にいる錯覚を起こすほどだった。その足で世界遺産のカタリーナ修道院を見てペンションにもどる。夜になりフォルクローレの生演奏に誘われるようにペンション内のレストランに入る。白熱灯の灯りがこげ茶色のテーブルを優しく照らし、冷え込んだ夜の空気を暖かく溶かしていた。ピスコというトウモロコシを発酵させて作る地酒を飲みながら、フォルクローレの素朴なメロディーに耳を傾けた。バンドは3人の中年の男がメインでギターやケーナやサンポーニャを務め、たまに二人の弟子がパーカッションで参加していた。演奏中、ギターを持ったリーダー格のオヤジがパーカッションの男たちにあごを上下させながらリズムを教えていたりした。演奏はすばらしかった。最後のサンドイッチのかけらをビールの残りで流し込むと、ぼくは勘定を払い先に出ていった客がしていたようにステージ脇にあるギターケースにポケットにある小銭を投げ込んだ。いい演奏だった。フォルクローレのメロディーは素朴だけど心に響いた。僕はフォルクローレの本場、ボリビアに行くことを決めた。
「倦怠期」
アレキパを出る日、空は見事な曇りだった。おおかみの毛皮のような弾力のない灰色の雲が完全に天と地をわけていた。最後にミスティ山を見られないのは心残りだったが、タクシーを拾いバスターミナルへいく。タクシーの固いシートに腰を乗っけるように座り外を眺めて僕はため息を吐いた。僕は旅の倦怠期に陥っていた。リマに到着してからというものの、僕はラテンの街に潜むなにかに見張られている気がしていた。実際たくさんの泥棒やスリが僕に目をつけているのだろうけど、それ以外の何かが僕の首筋を締め付けていて僕はその度に息苦しさを感じていた。それを察したかのようにバスターミナルへ向かうタクシーは日本人的な物静かで丁寧な運転だった。この辺のタクシーの運転手は概してしゃべり好きで運転が荒い。喧騒と殺気が入り交じった空気が外には充満している。バスターミナルでタクシーをおり、待合所の椅子に座り両膝に両肘をのせ頬杖をついて呆然としていた。しばらくすると、一人の男が僕の前で立ち止まった。顔を上げるとその男はしわだらけの顔を浮かべながら僕に言った。
「 2ソルで靴をみがきやすよ。」
5 ソルで昼飯を食べた事からしても靴磨きに2ソルというのは高い気がしたが、日本にいる時からただの一度も手入れなんてした事のない革のブーツはスエード地のようにかさかさになっていった。する事もなく、バスが来る時間にはまだ早い。そして、どうせいつもどおり遅れるだろう。
「んじゃ、頼むよ。」と僕が言うと、笑みを浮かべ、すばやく磨き台を地面に置いた。
ブラシを手に「さあ、足を乗っけてくだせえ。」というように顔じゅうの皺を浮き上がらせて笑った。皺だらけの靴磨きは溶けたチョコレートのようなギトギトのクリームを手で靴に伸ばし、ボロ布で手際よくそして、黙々と磨いた。
「どうでしょう?」覗き込むような目で皺だらけの靴磨きが言った。
「とてもいい。ありがとう。」ぼくは1ソル余分に 3ソルを手渡した。
「ほんとうにいいのか?」
「いいよ。とてもきれいになった。ありがとう。」
「どうもありごぜいます。」
皺だらけの靴磨きはさらに顔を皺だらけにして笑い、嬉しそうに去っていった。
小学校の机を水拭きした後のようにピカピカと茶色く光るブーツを見て、なんだか元気がもどってきたような気がした。こうして旅の倦怠期は終わった。
「バスの出来損ないか良くできたトラクター」
6時を15分ばかり過ぎ、ターミナルが急に人でごった返してきた。バスが来たのだ。バックパックを背負い、人込みを掻き分けるようしてバスまでたどり着くと、日焼けをして皮が剥がれ落ちたような所々にペンキのはげたボンネットバスがみすぼらしくたたずんでいた。確かボルボの旧式のバスで車体には「マルコポーロ」と銀色の切り抜きで書かれていた。これでアンデス山脈を越えるのかと思うと僕は少し心配になった。カバンをバスの屋根につむ。僕がカバンをバスのはしごにしがみついている男に渡すと、その男はさらに屋根の上にいる男にカバンを渡す。全員の荷物が積みおわるとゴムシートをかぶせ幾重にもロープで固定しいよいよアンデス越えの始まりだ。マルコポーロと名づけられたバスはトラクターを改造してバスにしたような代物でうるさいわりに遅かった。まもなく、舗装道路は終わり、工事中のアスファルトを引き剥がした道路をさらにひどくしたような山道へと変わっていった。マルコポーロ号のスピードはさらに遅くなり、その代わり揺れだけがすごいものとなった。夜が深まり、高度が高くなるに連れ次第にバスの中は冷え込んできた。立付けの悪い窓の隙間から氷のような空気が入ってきた。体が凍り、心が凍った、。その圧倒的な冷気はありとあらゆる物を凍らせていくようだった。ぼくは、頭が痛くなってきた。かき氷を急いで食べたときのような、頭のしんが冷やされたときのような痛みだ。僕はここで眠ったら危ないじゃないかと本能的に感じた。それでも僕の体は凍るように…凍るように眠りに落ちた。
朝日に溶かされるようにして僕は目覚めた。悪寒がした。風邪を引いたらしい。バスは相変わらずひどいゆれで、デパートの屋上にある宇宙船やアンパンマンの乗り物のようにわざとらしい揺れを繰り返していた。大きく三角に尖った山の頂が、バスの揺れにあわせて巨大な波のようにうなっていた。その青い山の波は、嵐の海を突き進んでいく船からの眺めのようだった。
途中、山に寄り添うようにつくられた道を対向車とすれ違った。下はV字型の谷で、落ちれば即死だな僕は思った。片輪を崖に突っ込むようにして慎重に狭い道をすれ違う。その時の「プシュプシュ」というエアブレーキの音はまるでマルコポーロ号の息遣いのようだった。
無事崖を越えると、ある時、乗客の何人かが口笛を吹いたり、窓をたたいたりした。運転手はしょうがねえなという感じでマルコポーロ号をアンデスの山々に囲まれた大草原に停めた。勢いよく飛び出した男たちは思い思いの場所で用を足していた。驚いたのは女たちで、バスから50メートルほど離れると、ふわっとしたスカートで囲いを作りしゃがみこんで用を足していた。エメラルドグリーンの草原にぽつぽつとうがぶ膨らんだスカートは鳥が卵を温めているようだった。
アレキパを出て14時間、ようやくチチカカ湖のほとりの街プーノに出た。ここの標高は4000メートルを越える。少し歩くだけで息が切れた。
ペルーとボリビアの国境へ向かうバスに乗り、チチカカ湖を眺めながら2時間ほど走ると、銀色の空からとうとう雨が落ちてきた。しかし、それは誰もが予想していた事で露店の人々は用意しておいたビニールシートで商品を素早く覆い、得意気な表情を浮かべていた。車窓に広がるチチカカ湖は広大でどう見ても海にみえたが、波が全くなく湖面はおそろしく無表情だった。銀色に光る水面は身動き一つせづ凍ってしまっているかのようだった。昼過ぎ国境につき、ペルーの出国手続きとボリビアの入国手続きを行う。ペルーの出国手続きは恐ろしいほど適当で僕の番が来た時、イミグレの女は、厚化粧の上にさらに化粧を始め僕を30秒ほど待たせ、次にとなりにいる子供の鼻水をふいてさらに僕を15秒ほど待たせた。適当な作業な割に長蛇の列ができる理由は簡単に察しがついた。手続きが終わり歩いて国境を越えた。ボリビアの入国手続きを済ませ、ラパス行きのバスに乗り込む。ラパスは世界で一番標高が高い首都だ。バスの中を見まわすとこぎれいなみなりをした日本人の女が座っていた。話をしなくても日本人だということはすぐにわかった。それは旅人の嗅覚みたいなものだ。彼女は銀河鉄道999のメーテルのように外を眺めていた。「すると僕はテツロウか。」僕はつぶやいた。
メーテルとの旅
「こんにちは!となり空いてますか?」
「空いてますよ、どうぞっ。」そう言って座席の上のカバンをひざの上に置いた。
メーテルはベージュのコットンパンツに、色は忘れたがきれいなネルシャツという格好で、旅人特有の粗野な感じが全くなかった。日本で買い物でもしていて、その帰りのバスという感じだった。年は20後半と予想した。
「こんにちは、どちらに行くんですか?」僕はラパス行きのバスであると知りつつも、尋ねてみた。
「ラパスです。ラパスですか?」
「はい、そうです。」
こんな感じで僕とメーテルはお互いの身の上話をした。僕は学生で、これから3ヶ月ほど南米を旅してロスアンジェルスから日本に帰るつもりだと話した。するとメーテルは仕事を辞めて、今までの生活に区切りをつける意味で旅をしていると言った。もちろん旅は楽しいから大好きだとも言った。何やら込み入った事情があるように思われた。しばらくしてバスはコパカバーナとうチチカカ湖のほとりの町に着く。ここで、一度バスを降り湖を船で渡る。そして、僕らを乗せたバスもバス用のいかだに乗せられて湖の対岸に運ばれる。そして、またもとのバスに乗り込むのだ。
「だいじょうぶかな?」バスを乗せ今にも沈みそうないかだを心配そうに見ながらメーテルが言った。
「本当に心配になっちゃいますね?」辺りにいたたくさんのバックパッカーも心配そうにバスを乗せたいかだを眺めていた。国境付近のルートというのは限定されていて、特に今回のような陸路と水路が組み合わさっているところではなおさらだった。だからたくさんの旅人がここを通る。そんな旅人をインディヘナの子供たちが不思議そうに見つめていた。無事チチカカ湖を渡ると再びバス移動が始まった。
突然眼下に、巨大な街が広がった。大きな隕石が落ちた後のような盆地に世界最高度の首都ラパスはあった。僕とメーテルはバスを降り、家々が坂にしがみつくように密集している風景に呆気に取られていた。360度どこを見回しても坂が続き、その坂にどこまでも家並みが続いた。そこから目指すホテル・ビエナはタクシーで10分ほどで着いた。ホテル・ビエナは外見的には旧名門ホテルらしき堅固な構えと落ち着いた雰囲気をもっていたが、その中にハイテンションのポーターと趣味の悪いインテリアがちりばめられた不思議なホテルだった。フロントに行くとシングルの部屋はないといわれた。僕にもメーテルにも疲れた体でバックパックを背負い海抜約4kmの高地で宿探しをする気にはなれなかった。
「しょうがない。ダブルの部屋でいいですか?」ぼくがそう言うと
メーテルはとりあえず今日はという感じで「そうしましょ。」と言った。
タランティーノの「フォールームス」に出てきたティム・ロスをラテン男にしたようなポーターの案内で入院部屋からカーテンをとったようなベッドだけが5つ置かれた殺風景な部屋に通された。荷物を置き、お湯になりきれていないシャワーを気合で浴び、僕らは夕食を食べに街に出た。
外は少し寒かった。ラ・パスの街は想像していたより洗練されていて、白い建物がオレンジの街灯に照らされて、どこかヨーロッパの香りがした。B級ヨーロッパという言葉がふさわしいと思う。大通りに面したしゃれた店でロコトという青唐辛子と牛肉とトマトの炒めもの、ロモサルタードを食べた。青唐辛子の緑と真っ赤なトマトが牛肉の存在を忘れさせるほど鮮やかだった。口の中に広がる燃えるような辛さをビールでゆっくりと冷ます。高地のためアルコールはあっという間に体を駆け巡り旅の疲れと程なく調和した。、
「3600メートルのセックスはどうだった?」メーテルの顔は月明かりに照らされ海の底に横たわっているようだった。
「僕は一番高いところでセックスした日本人かもしれない。」
メーテルは音もなく笑った。でも、微妙な体の動きが伝わってベッドをキシキシと笑わせた。青く深い闇の中で僕らはしっかりと抱き合っていた。会ったその日にセックスするのは初めてじゃない。でも、終わった後にこんなに静かな気持ちでいられたのはメーテルとが初めてだった。僕らが出会った事をほかの誰も知らないというのがそういう気持ちにさせるのかもしれなかった。ぐったりしたペニスがメーテルの太股にあたった。僕はこの瞬間が大嫌いだった。忘れかけていた日常やら現実が急にやってくるのだ。しかし、この日、僕の日常は地球の裏側にあった。もちろん、メーテルの日常も。
「さっきバスの中で二十歳って言ったよね。」
「そうですよ。」僕は応えた。
「ヒツジドシ」 メーテルはクイズにでも答えるように言った。
「よく分かりましたね。」
「だって、私もヒツジドシだもの。」
「じゃ、32歳?」
「なんで旅してるんですか?」僕は恐る恐る聞いてみた。それは腕のない人になんで腕がないのかと訊ねるような気分だ。メーテルにはなんかそういうところがあった。
「旦那と別れた事言った?」
「いいえ。」
「そう。旦那と別れたら今度はお母さんが亡くなっちゃってね。それで何もかも捨てて旅に出たの。」メーテルはそのことが悲しい事だとか同情をひこうとか、そんな話し方はしなかった。でも、その吹っ切れたところが僕には余計に重たく響いた。
「区切りが必要なの。」メーテルは言った。
「区切り。」僕は小さな声で繰り返した。
その夜、僕らはもう一度セックスをした。
次の日、坂を上り下りし市内を練り歩く。観光案内所をみつけたが、定刻より20分早く昼休みをとっていて誰もいなかった。近くにボリビアに移民した日本人のための施設があると聞いて行ったのだが、そこも3時まで昼休み。どこに行っても昼休みだった。広場ではデモ行進が行われていて、警官隊が暴動にならないように目を光らせていた。仕方なく部屋に戻って昼寝をしていると、突然のスコールの音で目を覚ました。何の前触れもなく、シャワーの蛇口をひねるみたいにして突然雨が降ってきた。20分ほどでスコールはやみ、何事もなかったかのようにもとの青空が広がった。僕らは昼飯を食べに街に出たが、さっきのスコールのせいで屋台はどこも閉まっていた。喉が渇いていたのでとりあえずジューススタンドで生ジュースを飲む事にした。ジューススタンドの主人はベテランのタクシードライバーのように手を休めることなく、時よりこっちを見ながら、「お客さん、どこからきたんで?」などとあたりさわりのない世間話をしてきた。出来上がると「ヘイ、お待ち。」とジュースが波並み入ったグラスをカウンターに置いた。何もかもがバイトの日本の飲食店とは違う。ジュースを搾る姿にはプロとしての誇りを感じた。僕はファンと名乗るその主人の動作が一発で気に入ってしまった。オレンジ、いちご、マンゴー、パパイヤ、バナナ、桃、グレープフルーツなどをその場で搾ってくれて50円で二杯飲める。とにかくうまい。
再び街を歩いていると、小太りの中年の男がよたよたと体当たりしてきたり、立ち止まって道をふさいだりした。僕の注意は完全にその男に注がれていた。その時だ。メーテルが後ろを振り向くと、これも怪しげな中年の男が僕のカバンを開けカメラを盗み取ろうとしていた。メーテルは泥棒の手からカメラを取り返し、睨みをきかせていた。僕はただただ呆然としているだけだった。「ばれた!?」とにやにや笑いながら二人の怪しげな男たちは人込みの中に姿をくらませた。初めてスリと遭遇。僕は何もできなかった。僕はメーテルに礼を言った。
気を取り直して、さらに街を歩いているとギターケースを手にさっそうと歩く男を見掛けた。長身で長髪の彼の背中には人込みや渋滞の中からでもすぐ彼と分かるオーラがでていた。彼が歩くと何のへんてつもない路地が、彼のために作られた映画のセットのように見えた。すれ違う人や彼をよけるようにして動き出す車など、全ての動きはこのギタリストのために予定されているかのようだった。
「どこ行くんだろうね、あのギター弾き?」僕はメーテルにつぶやいた。
「きっと今からどこかでライブをやるんだよ。」
「後ついて行って見ようよ!きっと面白いところにたどり着けると思う。」張り込み中の刑事のように小声で僕は言った。
「うん。」ボリビア人に日本語が聞こえても心配いらないのだが、なぜか僕らは小声で話をした。新米の探偵のようにたどたどしく彼の跡をつけた。車をかわし、路地に入り、そそり立つアパートの間を歩いた。すると、突然何かが落ちて、メーテルの顔を直撃した。水風船だ。上を見上げるとアパートの窓からガキどもが笑いながらこっちを見ていた。ガキというのは世界中どこでもいたずら好きなのだ。特にラテンのガキは。メーテルは手で水風船があたったあたりを押さえて、「まったく。」などと文句を言っていた。僕は腹立たしさがおさまらないメーテルをなだめて、彼の後を追おうとしたがすでに彼の姿はなかった。
あのギター弾きが姿を消すと路地は急に特徴の無い物にみえた。彼が歩いて行った方に行ってみると年期の入った石造りの劇場があった。壁にはフラメンコのポスターが貼ってあった。スポットライト浴び、踊り子が誇らしげにポーズを決めているポスターだった。僕はあのギタリスとが吸い込まれるようにこの劇場に入るところを想像した。
「絶対ここに入ったんだよ。」僕は犯人を追いつめた探偵のように得意げに言った。
「そうね、ホテルで休んでまた来ましょ。」メーテルはそんな新米の探偵を諭すように言った。開演まではまだ2時間あった。
劇場のある場所を地図に記し、生乾きのクリーニングを拾いホテルにもどった。
屋台でホットドックを食べ、僕とメーテルはさっきの劇場に向かう。劇場の周りはすでにたくさんの人が並んでいた。ダフ屋から100円ほどで二階席のチケットを買い、開演はどうせ遅れるだろうという予想というよりこの国の常識を下に近くの店でビールを飲んで時間をつぶすことにした。ビールを飲んでいる間劇場の前にはタクシーがひっきりなしに横付けされて楽器を持った男たちが次々に現れた。彼らは妻と子供に「行ってくる。」とキスをして、人込みを引き裂くように楽屋に入って行った。この国では開演時間を過ぎてから楽屋入りするようだ。開演時間を1時間ほどすぎて、ようやく劇場の中には入る。ステージを包むように座席があり、キリストと天使が描かれた丸天井がその上を覆っていた。古さがしっくりくるいい劇場だった。拍手と口笛の中いよいよ幕があがった。
「ほら、見て。あのギタリスト。」メーテルがステージに向かって指を差して言った。ステージではフラメンコの歌と踊りが繰り広げられ、その後ろで町角で見かけたギタリストが淡々とギターを弾いていた。手拍子をし、曲が終わるごとに「ブラボー。」と叫んだ。それに答えるようバンドの人が何か言うと、どっと笑いが丸天井に沸き上がる。みんなが笑うと、吐き出された空気で丸天井を吹き飛ばしてしまいそうだった。バンドと観客の間には親密な一体感があった。
次の日。ティワナコ遺跡へ行く。乗合タクシーでターミナルまで行き、そこでティワナコまでのバスチケット買う。出発まで大分時間があったので朝飯を食べに行った。、チーズパンとクラッカーと水を買い、待合所にもどると係員がバスはもう行ったという。往々にして遅れるラテンのバスが定刻より早く出発するというのは信じがたかったが、さっきまであった青いバスの姿はなかった。仕方なく乗った次のバスは定刻より15分遅れて出発した。赤茶けた大地とエメラルドグリーンの草原を交互に見ながらバスは走った。2時間ほど走ると、バスの中にいた少年が「ティワナコ遺跡に行くならここで降りるんだよ。」とバスを停めてくれた。半信半疑のままバスを降りる。なにしろハイウェイ沿いに「ようこそ」とでもいいたげな石の像がぽつんと置いてあるだけなのだ。どうしようかと考えていると脇道から乗合タクシーが現れた。
「ティワナコ遺跡に行きたい。」僕がいうと、「乗りなっ!」と手招きした。10分ほど車で走り、遺跡に着いた。ティワナコ遺跡はだだっ広く、ぽつぽつと点在する石像や石門は校庭におかれたすべり台やブランコのようだった。青すぎる空が眩しかった。それは小学生が水彩絵の具で描いたみたいに青すぎた。僕らは遺跡の台座に腰をかけ、果物とフルーツで簡単な昼食にした。突然、メーテルが男のもとへ駆け出した。一言、二言言葉を交わしメーテルと男がこっちにやってきた。
「チチカカ湖の島で一緒だったの。彼は世界一周してるのよ。」メーテルが男を紹介した。彼は中国からアジア、中近東、アフリカ、ヨーロッパを経て、アメリカ大陸を南下中だという。彼は旅中、マクドナルド巡りすることがこだわりらしく、世界中のマクドナルドを知っているといった。
「マクドナルドを見るとその国が大体見えてくるんだ。何というか雰囲気が伝わってくる。」世界のマクドナルドの話しをし、ラ・パスで夕食を一緒に食べる約束すると、ミスターマクドナルドはどこかに行ってしまった。
僕とメーテルはラ・パスに戻り、楽器屋や土産屋などが並ぶサガルナガ通りを歩いていた。殺人的な坂道を歩いていると、メーテルがまた男のもとへ走り出した。さっきとは別の男だ。なにやら「久しぶり。」のような事を話している。浅黒く日焼けした顔に髭を蓄えている。メーテルはその髭のおじさんを僕に紹介した。髭おやじは日本語をしゃべっていても、どこか土着の人を思わせる旅人の顔をしていた。それはテレビの有名ディレクターが醸し出す業界人の独特な雰囲気のようなもので、本人も意識している訳でもないし、真似しようとしてできるようなものとも違った。髭おやじは時給自足の旅をしていて、ほうぼうで大工仕事をしたり、コックをしたりして旅を続けている。また長野でレストランを経営していて、息子が有名な雑誌でモデルをやっているそうだ。とにかく謎めいた人物だが、その人となりが多くの人を引き付けるのか、取り込んでいるのか、すぐに誰とでも友達になってしまう。髭オヤジは洗いざらいそんなことを話すと僕らに何をしているのか訊ねた。
「実は、ここでアンデス音楽を習おうと思って今楽器屋とかスクールを探しているんです。」
僕はバイトの面接に答えるように丁寧に応えた。すると髭オヤジは「真面目な日本人に会ったのは久しぶりだ。」と感心したような顔をして、「それなら僕が今日知り合いになった楽器屋の友達に聞いてみようか?」と言った。
「えっ!この街に知り合いがいるんですか?」僕は驚いて聞き返した。
「知り合いって言うかこのあたりじゃ、一度会ったもん同士はアミーゴっていうんだよ。」髭オヤジがそういうと僕は妙に納得し、メーテルが口を開いた。
「今日、ミスター・マクドナルドに偶然会って夕飯を一緒に食べるんだけど、一緒にどう?」
「おお、いいね。彼、元気かい?…・・」
「ええ、元気です。」メーテルと髭オヤジはかつての戦友の話をするように、懐かしそうに話していた。
僕とメーテルと髭オヤジとでミスター・マクドナルドが滞在しているホテル・アレムに向かう。ミスターマクドナルドにも連れがいて僕らは5人で中華料理を食べにいった。世界中の旅の話に花が咲いた。
「プノンペンで強盗に腹を刺されましてね。とっ捕まえてやりましたよ。」ミスターマクドナルドの連れがいう。
「グアテマラの川をいかだで下っている時、A型肝炎になちゃって…。」負けじと髭オヤジ。
「ボリビアにはアボカドバーガーというのがあるんです。」さすがはミスターマクドナルド。こんな話が延々と続いた。地理が苦手の人には地球儀がいるだろうと思った。インターネットの普及で世界は均一化と縮小化に向かっているなどとアメリカとヨーロッパしか外国としか思ってなさそうな大学教授が言っていたが、旅人の話を聞くと世界は広く、まだまだわからない事がたくさんあるのだと思った。地球の反対側で食べる中華の味はその距離と同じぐらいかけ離れたものだったが、こんな不味い中華も常識からかけ離れた旅談議の中ではたいしたことない。僕は時間も経つのも忘れて彼らの旅談議を聞いていた。
ラ・パス4日目、街にも慣れ見所も見たので僕とメーテルは朝寝坊をした。昼前、ファンの店でイチゴオレを飲んで、品のいいおばちゃんが作るサルティーニャという餃子のような形をした肉のパイ包みを食べた。南米版ブタマンみたいなものだ。パイの中に肉と野菜がぎっしりと詰まっていて、飯にもおやつにもなる。部屋に戻り書き物をしていると、突然部屋の電話が鳴った。この部屋に電話があった事をベルが鳴ってはじめて知った。ベルの音は寝入った人のいびきのように、今にも消え入りそうなこもった音を規則的に鳴らしていた。僕は恐る恐る受話器をとった。
「もしもし。」電話の声は日本人だった。相手は僕である事を確認すると簡単な自己紹介を始めた。話を要約すると、彼はここでフォルクローレを勉強していて、髭オヤジの知り合いという楽器屋の人たちとバンドを組んでいる。バンドの代表も日本人で他にも数人の日本人がそのバンドに関わっている。一月後にラ・パスのカーニバルに参加するのだが、良かったら僕もやらないかという内容だった。彼が話しおわると、髭オヤジに変わった。
「ああ君かー、なんか土産屋の人に話したら色々話がすすんじゃって。もうきみはバンドメンバーって言う事になってるから。がんばってみてよ。」髭オヤジはとりあえず会って話をしようといいだし、4時に大統領官邸前のムリリョ広場で落ち合う約束を交わすと電話を切った。
受話器を置くと、僕は話の急な進展に戸惑いながらも、体の中にみなぎってくる力を感じた。メーテルが郵便局から帰ってくると僕は事の一部始終をメーテルに話した。
「本当、すごいじゃない。で、やるんでしょ?」
「うん、やるからにはマジでやりたいんだ。それで今からムリリョ広場であって話をするんだ。でも、すごい偶然だと思わない。」メーテルが髭オヤジ、髭オヤジが楽器屋、楽器屋がバンドとそのメンバーの日本人につながっていた。そんなことを考えているとメーテルが口を開いた。
「偶然の必然。」
「えっ?」僕は聞き返した。
「偶然の必然よ。旅の出会いというものは偶然のようだけど、実は最初から決まっていた事なの。私はなんであなたに出会ったのかってずって考えてたの。でも、今わかった。」僕を髭オヤジに引き合わせるてここまでつなげる事がメーテルの役割だったと言った。
「だから、がんばってね。」
「えっ!メーテルは?」
「明日オルーロに行くわ。」オルーロはここからバスで南へ数時間行った街だ。
「もうそろそろ進まないと時間がなくなちゃう。これから南下してチリまで行くの。カルナバルまでに戻ってこれたら、見に来るから。別れを怖がってはだめなのよ。」
僕とメーテルは抱きあった。車が坂道を上がっていくけたたましいい音が聞こえた。僕は本当にさびしい気持ちになった。
僕は広場の階段に腰をかけ、マスターから詳しい話を聞く事にした。メーテルと髭オヤジも一緒だ。電話をかけてきた男は日本に帰ったら福岡でアンデス音楽の生演奏が聞ける喫茶店をつくるそうだ。マスターはこれから僕が入るバンドは「パクシカーナ」という名前で代表はボリビアに来て10年になりフォルクローレの世界では日本人にとっての第一人者である説明した。そして、約一月後にカルナバルでタルカという笛を吹いて行進する。練習は週2回から3回だがひと月練習すれば物になるだろうから心配いらないと付け加えた。スペイン語ではカーニバルはカルナバルになる。説明を終えると二日酔いで疲れているからといい、マスターはホテルへ戻って行った。僕は確実に手応えを感じていた。
「なんだか、すごい事になっちゃった。でも、本当にありがとうございます。」僕は髭オヤジに礼を言った。
「いや、たいしたことない。」まだ酒が残ってるらしく髭オヤジはいつもに増して機嫌がいいみたいだった。そして、髭オヤジの旅話が始まった。
「昔はなぁ、ロスに行く金を貯めるのに日本で3年働かなきゃだめだったんだ。そして、ロスで皿洗でもして金を稼いで、それでヨーロッパに行ったり、中南米に行ったりした。みんな苦労してたよ。でも、今なら一週間も働けばロスまでのチケットが買えるだろ。それにこっちの物価は安いから、まぁ色々贅沢できる。それで今の日本の若いやつらはヤッパ日本人は金持ちなんだと思うんだ。でも、それは間違いだぞ。こっちのやつらで家を建てるために借金する奴なんていないし、会社を首になったぐらいで自殺する奴もいない。ただ、銀行の力や通貨の価値が違うだけなんだよ。いいかぁ。」途中、雨が降ってきたり、銃を手にした軍隊の隊列が公園を横切ったり、物乞いがしつこく金をせがんだり、靴磨きが来たりしたが僕とメーテルは髭オヤジの話を聞き続けた。
日曜の朝、街はとても静かだった。今日はバンドとの初顔合わせだ。メーテルの荷造りが終わると、朝の日課となったいつものジューススタンドに行った。しかし、いつものジュース職人ファンの姿はなかった。
「きっと日曜は休みなんだね。お別れが言いたかったのに。」残念そうにメーテルが言った。ファンの奥さんが作るマンゴージュースを飲んだが、やっぱりファンが作るジュースの方がうまいと思った。ミルクや砂糖の加減が微妙に違うのだ。
ホテルビエナに戻ると、荷造りを終えたバックパックが殺風景な部屋に転がっていた。僕とメーテルは会って五日しか経ってないがもっと永い時間を過ごした気がした。日本で週に2回ぐらい会ってるカップルよりずっと永い時間一緒にいたからだろうか。それとも、旅をしていると、自分の事を素直にさらけだせるからだろうか。殺風景な部屋で僕とメーテルは抱き合った。手当たり次第に音楽をかけるとスピーカーからスピッツが流れてきた。「君が思い出になる前にもう一度笑って見せて」
バンドも旅も投げ出して、ずっと二人で鼻をくっつけあって寝ていたかった。でも、それができない事は分かりきった事だった。旅の別れは引越しをして親友と離れ離れになるような宿命的な別れに似ていた。僕はメーテルをバス停まで送った。
「ありがとうね。本当に楽しかったよ。」
「私こそ、ありがとう。あなたならきっとうまくやって行けると思う。がんばってね。」
メーテルは僕に手を振ってから、バスに乗り込んだ。
僕はその足でバンドが演奏会をやっている公園に向かった。
「おお、やっと来たか。」髭オヤジもそこにいた。演奏が終わるとボリビア人の輪の中からがっしりとした男がよってきた。彼が「パクシ・カーナ」の代表だ。代表は気さくな笑顔で握手を交わすと僕と髭オヤジ、バンドの日本人を家に招いた。代表は僕にバンドやフォルクローレの事を説明しここにいたるまでの経緯を教えてくれた。
「僕がここに来たのは10年前になるんだけど。」代表は鋭い目で僕を見た。
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代表は静岡のやくざの家に生まれた。家に出入りするコワおもての人たちを見て育った。ある日、父親とその友人で銭湯に行くと混んでいた銭湯が急にすいた。代表は父親の友達になぜ背中に絵が描いてあるのか訊ねた。すると、その男は少し考えて応えた。
「大人になると絵が出てくる人と出てこない人がいるんだ。」少年時代の代表は鉄人28号の絵が出ててくることを希望した。中学生の時、偶然ラジオで聴いたフォルクローレが代表の心を強く捉えた。代表は高校を中退すると、修学旅行の積立金で初めてのチャランゴを手にした。チャランゴはフォルクローレには欠かせない弦楽器だ。当時、フォルクローレは未開の世界でその道具と情報は限られていた。代表は雑誌の写真を頼りに楽器を作り、耳を頼りに弾き方を研究した。代表は働き出したが、職を転々とした。ボーリング場、工員、ラブホテルの受け付け、ガス会社。代表は仕事が心底嫌いだった。2年間貯めた50万円で単身フォルクローレの本場、ボリビアに渡った。当時は今よりもっと不安定な情勢だったが、そこで自分の作った楽器を売って生計を立てた。当時、ボリビアに出回っている楽器のほとんどが土産用で演奏する人の立場を考えて作られた代表の楽器は次第に評価されるようになった。代表はとてつもない不安の中で、そこにあるやりがいと自分の生き方に賭けて、日本に帰る航空券を捨てた。
「昔はワルだったよ。」代表は糸で唇の両脇を引っ張られたように笑った。僕は4000メートルのアンデスに囲まれ僕はまた新しい男の生き方を知ってしまった。
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メーテルがいなくなると歩き慣れたはずの坂道が妙によそよそしく感じた。時よりすれ違うボリビア人に「おまえは世界の裏側で、ひとり何をしているんだ。」と思われている気がした。 部屋に戻りドアを開けると、何かが落ちた。それを拾い上げると、メモ用紙に何か書かれていた。
「あなたに会えた偶然の必然に感謝します。」
「フォルクローレの響き」
メーテルがいなくなってから、僕は笛の練習に励んだ。朝はいつものジューススタンド。昼は行き付けのカフェで過ごし。夜は笛の練習。暇な夜はバンドの日本人やボリビア人と遊び、練習に飽きた時は近郊の村に行ったりサッカーを観に行った。ある日、町のレストランで牛タンのステーキを頼むとボツボツのついた牛の舌がそのまま焼かれて出てきた。ゴムのような食感とザラザラとした舌触り。目をつぶって食べると、メス牛とディープキスしている気分になった。
代表やラ・パスにいた日本人と車をチャーターしてオルーロの祭りを見に行った。その帰りラジエターが故障して荒野で立ち往生した。日が暮れてくると見渡す限りの荒野の上に広がる空が不思議な色に染まりはじめた。赤、オレンジ、白、水色、青、紺が静かなグラデーションを作っていた。車の修理が済んだ頃、空には完全な闇が訪れすさまじい数の星が広がった。そして、ラ・パスの街に家々からもれるおびただしい光がひしめき合っていた。どこを見ても家の灯りなのか星なのかわかない光の粒が散らばっていた。光の世界に無数の細かい穴があいた球体が浮かび僕はその中に閉じ込められていた。
こうして一ヶ月は瞬く間に過ぎていった。カルナバル直前、日本からの卒業旅行者やちょうどラ・パスにいた日本人も踊り手やピエロ役として参加する事になり、パクシ・カーナ内はスペイン語に混じって日本語が飛び交っていた。そして祭りをむかえた街では水風船が飛び交っていた。ここボリビアの祭りは水を掛け合うことで有名で「水かけ祭り」といわれるほどなのだ。いよいよカルナバル当日、祭り衣装に身を包み行進が始まる。僕は一ヶ月の練習をぶつけるように吹きまくった。
「チーノ、チーノ」沿道を埋める観衆から日本人が混じった「パクシカーナ」にむかって声援が飛ぶ。「チーノ」とは「チャイニーズ」つまり「中国人」といってるのだ。アジアから最も遠い南米の人たちにとって、中国も日本も同じなのだ。地図で中国大陸を指差して東京はどこだと尋ねてきたり、ブルース・リーを日本人と思ってる人がいる。海抜4000mの地で踊りながら笛を吹いて行進するというのはとてもきつい事のように思っていた。でも、実際やってみると次第に足が軽くなりバンドのメンバーとの呼吸も合ってくるから不思議だ。デモやら、インディヘナの暴動に埋め尽くされるこの通りも今日ばかりは明るい笑いに包まれていた。途中いつものジューススタンドの前を通るとファンが身を乗り出して僕に手を振ってくれた。この一ヶ月で僕はこの街の住人に少しなれたのかもしれない。ゴールのサッカー場についても僕らの笛と踊りは続きいた。その後、バーに集結。コカの葉っぱをしゃぶりワインを飲み、そこでも笛を吹いた。こうして僕のラ・パス滞在はフォルクローレの響きの中で幕を下ろした。
「インカの末裔」
チチカカ湖を渡り再びペルーに入った。僕はクスコに向かった。マチュピチュを見るためだ。
クスコの商店街を歩いていると、突然となりを歩いていたいた見知らぬ女が僕の顔に白い粉のようなものをかけてきた。その瞬間、僕は何者かにポケットをまさぐられているのに気付いた。ぼくは体を大きくゆすって暴れた。泥棒は人込みの中に姿を消してた。顔に粉をかけられる直前、僕は何かいつもと違う空気を察知した。それはサバンナで忍び寄るライオンの気配を察知し動物たちが耳をピックと立てる瞬間のような空気だ。南米では泥棒やすりは一種の職業である。ゲリラ経営のスリの学校があるほどだ。当然、住人は誰がスリかぐらい知っている。だからスリも住人を襲わない。僕たち観光客を獲物にしている。だから住人も警察に届けたりしない。通報した事がスリの一味にばれると後で報復に遭う。それがここの掟なのだ。僕は襲われる直前、周りの人たちが僕を見たような気がした。ひょっとしたらスリを見たのかも知れない。みんな何かをあきらめたような目をしていた。
早朝アグアスカリエンテスというマチュピチュの麓へ向かう電車に乗った。崖崩れがあったらしく途中までバスで迂回した。電車は少しづつアンデスのふところへと分け入った。まるで緑の壁にぶつかって行くようだった。山には霧が煙のようにたちこめ、いつしかそれは雲に変わり、アグアスカリエンテスに着いた時は雨になっていた。近くに川が流れ茶色い水が狂ったように唸りを上げていた。駅沿いの安宿に部屋とり、マチュピチュへ向かう。ここからバスで20分峰を上っていく。幻の都市といわれたマチュピチュにも今ではバスで行ける。バスを降り、しとしと降る雨と立ち込める霧の中に浮かび上がったマチュピチュはまさに「天空の城ラピュタ」そのものだった。緑の上に石の土台が並び当時を思わせる町並みはかつての繁栄を物語っていた。遺跡の縁に腰をかけ降りしきる雨に打たれながらずっとマチュピチュを眺めていた。くすんだ石レンガの隙間にはふさふさとした苔が詰め込まれていて、雨期で鮮やかになった周りの山は「日本昔話」に出てくるような寺の鐘のような形をしていた。下を見おろすと僕が存在している地上が本当に小さくはかないもに思えた。神々しいという言葉がぴったりくる場所だった。麓のアグアスカリエンテスまで歩いて降りる事にした。バスのチケットは往復で買っていたが歩いて下山すれば、明日また上りのバスに乗れると聞いたからだ。インカトレールという登山道を歩いていると突然茂みから黄色い民族衣装を来た少年が現れた。
「何しているんだ。」僕はビックリして聞いた。
「登っている。」少年はぶっきらぼうに答えた。
僕はガイドブックに書いてあったグッバイボーイと呼ばれる少年たちを思い出した。彼らは麓でバスにグッバイと手を振ってからスタートして走ってバスよりも早くマチュピチュにたどり着き、観光客からチップをもらうのだ。
「君がグッバイボーイか?」
バスの音が近づいて来ると「アディオス」と少年は言い残し勢いよく山を駆け上がっていた。
背中が冷たくて僕は目を覚ました。そして脳みそが乾いてしまったような頭痛がした。僕は昨夜の事を思いだそうとした。
「アグアスカリエンテス」とは「お湯」という意味。そう温泉があるのだ。僕はマチュピチュを見てから麓にある温泉へ向かった。僕は久々の温泉に期待に胸膨らませていたのだが閉まっていた。こういう事はよくある事だ。このぐらいでがっかりしていたら南米は旅できない。僕はそう自分に言い聞かせ宿に引き返そうとすると家の戸口からインディヘナの男が話し掛けてきた。
「明日の朝はあいてるぞ。まあ、とりあえず飲もうや。アミーゴ。今日は俺の弟の誕生日なんだ。」戸口の隙間からもう一人の男が出てきた。多分弟だろう。二人とも相当酔っ払っている。
「誕生日おめでとう。」僕がそう言うと強引に僕を部屋に招きいれた。部屋には日本製のコンポがほからしげに置かれ壁にはアイドルやチェ・ゲバラのポスターが貼ってあった。
悪い奴等じゃなさそうだなと僕は思い波並みと注がれたラムを飲み干した。カルロスとジューの兄弟は僕のアリャンサのサッカーシャツを見て大喜びした。
「おまえもアリャンサリマのファンなのか?おおアミーゴ!!」と叫び二人は抱きついてきた。日本でも酔っ払いがよくやるやたら力の入った抱擁だった。アンデスに住むインディヘナの胸板はとても厚い。空気が少ない環境がそうさせるのだろうか。とにかく僕は息苦しくなってきた。
「ジューとアリャンサに乾杯!!」僕は叫び3人でラムをがぶ飲みした。3人とも相当酔っ払っていた。カルロスがディスコに行こうといいだした。近くのディスコでビールを飲み、踊りまくった。僕の記憶はその辺から曖昧になった。
朝、気付くと僕は知らない家の床で寝ていた。部屋の床は水浸しで僕の背中はじっとりと湿っていた。どこかでぶつけたのか、腕やら足が痛かった。部屋を見回すとペルー人が4人寝ていた。その顔には見覚えがあった。ディスコで知り合いになったカルロスの友達だ。雨がトタン屋根を小気味よく打ち付けていた。僕は冷静になって飲みすぎた事を後悔した。彼らが悪い奴等だった僕は金品を奪われて濁流にほうり込まれていたのかも知れない。僕はなんだか恐くなって部屋を後にし、その足で温泉に行った。お湯はぬるく濁っていたが、それでも二日酔いの体にはぬるいぐらいがちょうど良かった。早朝、町も山も霧に覆われていた。僕はマチュピチュがある山に目をやったが下から見てもマチュピチュは見えない。僕は霧と雲に覆われた城壁から誰かに見られている気分に襲われた。温泉からの帰り、クスコ行きのチケットを買った。ここを出る前にもう一度マチュピチュを見ておきたかった。そんな事を考えている時、4人のペルー人が僕を囲んだ。さっきの家にいた奴等だ。
「朝起きら俺の友達の財布がなかった。おまえが最初に部屋を出て行ったよな?」リーダー格の男が僕に詰め寄るようにいった。かなり興奮していた。財布を取られたらしきペルー人が心配そうにリーダー格の男を見つめている。僕にとって不利な条件がそろっていた。昨夜は飲みすぎていたし、何より僕は一人だ。とりあえずカマをかけてきてるんじゃないかと思って「よっし、警察に行って話をつけよう。」と僕が言うと。彼らはすんなり同意した。たいていのペテンはここで手を引くか、いかさま警官を連れてくる。財布がなくなったのは本当みたいだ。
こうなると警察に行っても手間と時間がかかるだけだ。それに南米の警官は地元のやつとつるんでいたりと始末が悪い。僕は自分の潔白を証明する道を考えた。
「よし、警察に行く前に俺の部屋に行って俺の荷物を好きなだけ調べてもらおうじゃないか。」僕は怒りをあらわにして言い放った。ここでスキを見せるわけにはいかなかった。するとリーダー格より落ち着いた大男が「そんなに怒らないでくれ。悪気はないんだ。」と僕をなだめた。僕は彼らを部屋に通し荷物を念入りに調べさせた。そしてボディチェックもさせた。彼らは「落としたのかも。」と顔を見合わせると僕に詫びを入れた。やはり彼らは悪い奴らではなかった。
「俺も探すのを手伝うよ。」というと彼らは
「これはおれたちの問題だ。ありがとう。本当に疑ってすまなかった。」僕は彼らと抱擁して別れた。みんな分厚い胸をしていた。そして、その中に正直な心を持っていた。そう、彼らはマチュピチュをつくったインカの末裔なのだ。
僕はもう一度マチュピチュを見て、アグアスカリエンテスを後にした。クスコを経由しリマ行きの飛行機に乗る。ボリビアで知り合った登山家は4、5回バスでアンデスを越えていたが、僕はもう二度とバスでアンデスを超える気にはなれなかった。リマヘ戻りエレナやカレンに会いに行こうか考えたが北上を急ぐことにした。僕は一ヶ月後にメキシコシティーまで行かなくてはならなかった。
「いざ、北上」
海沿いの砂漠を見ながらパンアメリカンハイウェイをバスでひた走る。砂漠にまっすぐな道路がどこまでも続く。ときよりガソリンスタンドを兼ねたレストランかレストランを兼ねたガソリンスタンドがあるほかは何もないさびしい道だった。そんな道を丸一日走り国境の町トゥンベスについた。ペルー側の国境でフジモリ大統領に反対する民衆と警察が小競り合いを繰り広げており、橋の上で車が炎上して殺気立ったペルー人が橋を封鎖していた。ペルーは翌月に選挙を控えていた。仕方なくバスを降りて、橋を迂回して国境まで歩く。ペルーのイミグレもエクアドルのイミグレも近くでドンパチやってるのに全くやる気がない。エクアドルのイミグレなんて見過ごしてしまいそうなほどみすぼらしいものだった。「ようこそ、エクアドルへ」と書かれたゲートくぐり、グアヤキル行きのバスに乗り込んだ。グアヤキルはエクアドル最大の港町で黒人街の活気と治安の悪さで有名なところだった。湿原地帯を抜け大きな橋を渡るとグアヤキルに到着。街は思ったより整備されていて、小奇麗なビルが海岸沿いに並んでいた。適当に安宿をとり、街を歩くと公園の木にイグアナがしがみついていた。空気は熱く湿っていて潮の香りがねっとりとまとわりつく。黒人とその混血が多く見られ、町全体からヤバそうな匂いがしていた。夜になると僕の予想は現実のものとなった。大概の安宿街がそうであるように、安宿の周りは治安が悪い。正確には治安が悪いから宿が安い。勇気を出して散髪に行ってすっかり遅くなった帰り道、あたりの様子がおかしいのに気付いた。生ぬるい海風に吹かれ見事に刈り上げられたばかりのもみ上げが涼しかった。けばけばしい赤いネオンに照らされ血を流しているように見えるギャングと売春婦たちが僕に声をかけてくる。
「おい、いいブツがあるぜー。」 「こっちへこいよ。」 「5万でいかが。」
「今はいい。」という素振りをして足早にその通りを後にしたがそんな通りがしばらく続いた。ディスコやナイトクラブが目立つこの界隈で不思議な床屋を目にした。外見はどう見ても床屋なのだが中にはやたらセクシーな女が手招きしていて、艶めかしい照明が店からこぼれていた。そんなところで髪を切ったら、どこの毛を剃られていたか分かったもんじゃないと僕は思った。僕は部屋に戻るとすぐさま横になった。
ヤバくて奇妙な街だったがなんというか忘れられない街だ。僕はエクアドルの首都、キトへ向かう事にした。
「文化遺産に住む」
聖フランシスコ教会を朝日が赤く染める。いつ見てもこの街は美しい。街全体が文化遺産に指定されているのもわかる。キトに来て8日が過ぎた。エクアドルに起こったクーデターの影響で通貨スークレの価値は本来の3分の1になった。これは国全部が6割引か7割引きセールをやっていると思えばいい。インフレ率もこの急激な通貨の下落にはついていけない。今、泊っているホテル・スークレは文化遺産の中心に位置していながら一泊40円。連れ込み宿という点さえ気にしなければ眺めも良く居心地も悪くない。当然こうした噂はすぐに伝わるらしく常に4、5人の日本人が「沈没」していた。旅人が一つの場所に永くとどまる事を「沈没」という。酒、麻薬、女何でもありの世界だ。そこは怠惰でありながらも不思議な居心地の良さがあり日常や現実の進入を拒絶した冬の陽だまりのような場所。現実や日常から抜け出してきた人たちが身を寄せ合って暮らしていた。マリファナを吸い、石になった頭でキトに来てからの事を考える。人々は5円や10円でバスに乗り、ウエイトレスは100円稼ぐためにピザやジュースを一日中運ぶ。女は200円稼ぐために体を売っている。ビリヤードに行けば、台は極端に傾き、ショットの前にゴルフのパットのように起伏を頭に入れる必要があった。道端のレモン売りはトラックで乗りつけた警官にレモンが入った袋を奪われ憤りをあらわにしていた。たまに公園で血まみれの男が歩いていた。
そんな脈絡のない映像が頭に浮かんできて何かを訴えようとして消えて行った。それは何かを言いかけた人が「ヤッパ、いいや。」と口をつぐんでしまうようなもどかしさを僕に与えた。それでも、言いたいことは大体分かっていた。
外を見るとシトシトと雨が降っていた。雨は腐った街を溶かして何もかも終わりにしようと言っているみたいだった。遠近感のないくすんだ空からなんとなく雨が降っていた。何かが迫ってくる事を知らせに風が部屋を駆け抜けた。教会の鐘が響くと、何かの合図のように雨が強くなった。テープレコーダーは最後の力を振り絞って
「自分たちの中で眠っている何かを解き放てるさ。」と歌っていた。僕は今日ここを出なければと思った。
「オハヨウ。」料理長がマリファナをうまそうに吸いながら言った。彼はここで4ヶ月ほど沈没している日本人で、階下のキッチンでみんなの夕食を作り、マリファナをサッカーボール大の袋で一括購入して、他の沈没者たちにさばいていた。早い話、世話好きなのだ。そして、酒と麻薬とサブカルチャーを心から愛していた。僕は料理長が巻き紙をなめる時の顔がたまらなく好きだったのだ。はやる気持ちを抑えゆっくり丁寧に糊代をなめてジョイントを作っていく。その動きは熟練した職人のようだ。僕は「トレインスポッティング」の修道院長にちなんで彼を料理長と呼んだ。
「きょう、コロンビアに行きます。」僕は料理長に言った。
「ゴホゴホっ!もう行くの。」料理長はいがらっぽい咳をしながら言った。
「メキシコまで行かないといけないんだもんね。気をつけて。ゲホゲホ。」
僕は礼と別れを言ってこの不思議な街を後にした
「コロンビアに関する考察」
再び北上を開始。エクアドルとコロンビア間の国境もやる気がなく。一度コロンビアに入国したがエクアドルの方が物価が安かったので昼飯を食べにこっそりエクアドルに戻ったが何も言われなかった。
ゲリラの潜むジャングルをぬけカリを経由して、首都のボゴタへ向かう。カリにいる時、50ccバイクでアメリカ大陸を縦断している日本人と出会った。彼は「ゴリラ」でゲリラのいるジャングルを突破しようと企てていた。コロンビアでは左翼VS政府VS右翼という複雑な権力争いが行われていて、その裏では麻薬カルテルが暗躍していて世界のコカインの80パーセントを生産しているという話だ。国をあげて麻薬を輸出している時期があってアメリカのCIAがメデジンの麻薬カルテルを空爆した事もある。日本のヤクザに手を焼いたアメリカが歌舞伎町を空爆する事はまずないだろう。南米でも屈指の治安の悪さを誇り、銃で殺される事が日本人の交通事故で死ぬ感覚らしい。キトの料理長はボゴタには毎日、人が殺される有名な通りがあるといっていた。今回の旅で最も用心しないといけない国だ
しかし、いざ来てみるとコロンビアはいい国だった。時々バスジャックが出るのと夜になるとギャングとプッシャーと売春婦の数が他の国と比べて圧倒的に多いだけだった。コロンビアに潜む悪というのはプロの国際組織としてもっと大きな力を相手にしているような気がした。そして、今まで旅した南米の中で一番金がありそうな国だった。多分、GDPなどの表に出ない金がたくさんあるのだろう。
「南米脱出」
パナマ空港についた僕を待っていたのは入国スタンプを渋る入国審査官と入念な荷物検査だった。コロンビアを出国する時も何度も荷物検査があって、僕は荷物検査に辟易していた。なんとか入国を済ませカスコ・ダ・ビエホという旧市街に向かった。途中一緒だったチリ人の女の子達は治安が悪いそうなので新市街に宿を取るといって、僕らは分かれた。バスを乗り継ぎ、ペンション・エレーラという安宿に部屋を取る。シャワーを浴び、洗濯を済ませ僕はパナマ運河を見に行くことにした
広い敷地に大きなコンクリートの塊があった。パナマ運河だ。巨大なダムのような水路に一隻の船が通る。観光客がむじゃきに船員に手を振る。船員は獄中に訊ねてきた面会人を見るような目をして手を振った。彼らが丘に上がれるのはまだまだ先のことなのだろう。エクアドルであった遠洋漁業の乗組員が言っていた。「一度、海に出たら半年丘に上がれない時もある。楽しみは飯ぐらいだが些細なことでしょっちゅう喧嘩が起こる。刑務所にいるようなもんだ。途中でおかしくなる奴もいるんだ。」
運河からの帰り、バスを拾えずに幹線道路を歩いていた。すると、一台のパトカーが停まった。嫌な予感がしたが車からはクレオールの気さくな中年の男が出てきた。
「乗ってけ。この辺じゃバスは止まらん。」ラファエルと名乗るこの警官は仕事が終わって帰宅の途中なのだと言った。車に乗り込むとラファエルが訊ねてきた。
「どこから来た?」
「日本だ。」
「ああ、そうか。この車はトヨタのだ。見ろ、エアコンもこんなに良く働く。」ラファエルは嬉しそうに笑ってエアコンのつまみをひねった。かびくさい臭いが車内に広がった。
「パナマは好きか?」
「ああ。」
「結婚しているのか?」 ラファエルは割り込みをしてきた車にクラクションをならした。
「まさか、俺はまだ学生だぜ。」
「そうか。家族と会えなくて寂しくならないのか?」
「まあ、時々ね。」
「どこに住んでいる?」
「カスコ・ダ・ビエホだよ。」
ラファエルは僕を宿の前まで送ってくれた。
「ここは危ないから気をつけろ!」
「分かったよ。ありがとう」僕らは握手をして別れた。
夕闇に染まる水色の壁と錆びたトタンのぼろアパートに洗濯物が運動会の万国旗のようにひらひらしている。通りを裸足の少年が駆け抜ける。海を挟んで新市街の高層ビルが遠くに浮かんでいた。カスコ・ダ・ビエホはかつて交易の要所として栄えたが、大航海時代の終わり共に衰退が始まり、スラム街となった。かつての名家も安宿やアパートに変わり、テラスでは赤や緑の伸びたランニングを着た黒人のおばちゃんが楽しそうに語り合っている。そんな光景を眺めながらビールを飲んでいると蒸し暑さも許せてしまいそうだった。
「再びエクアドルへ」
窓の外では飛行機の垂直尾翼だけがジョーズの尾びれのように行き交っているのが見えた。僕はコスタリカの空港のレストランにいた。このまま北上を続けメキシコから飛行機でアメリカに入り日本に帰る予定だったが、僕は再び南下してエクアドルに戻ることになった。
パナマを出て、コスタリカに入国した。サンホセの安宿でいかつい大男が僕に話し掛けてきた。C・W・ニコル似のハンガリー人はトラックの運転をしながら南米を旅をするのだが、アシスタントをやらないかと僕に持ち掛けた。そうすれば、仕事をしながらいつまでも旅ができると言った。ここで再び南米に戻れば間違いなく帰国の予定が遅れるだろう。日本に帰る金もなくなる。それは、大学を捨てることになるかもしれないと思った。それでも、僕は旅を続けることに決めた。再びエクアドルに戻った。
しかし、キトに来て一つの問題が浮上した。C・W・ニコル似のハンガリー人が近頃、強力な友人関係を求めてくることだ。「STRONG FRIENDSHIPが大事なんだ。」と彼は僕によく言った。歩く時もなんだかよりそうに様に歩いてくる。なにかにつけスキンシップをせまる。僕は次第に彼を避けるようになった。ある日、彼は僕に言った。
「なぜ、俺を避ける。俺はゲイじゃない。」大男が弱々しく懇願する声を聞いた時、何かが頭の中ではじけとんだ。
「俺は一人になりたいんだ。」僕が怒鳴ると彼は
「なぜだ。なぜだ。」繰り返した。そういいながら C・W・ニコルは熊がねぐらに帰るように部屋を出て行った。
心配した料理長が僕の部屋に来た。
「誰、あのC・W・ニコルみたいな奴。」いつもと変わりなくうまそうにマリファナを吸いなが言った。。
「旅をしてる奴ってどうして変な奴が多いんだろう。」僕はため息交じりにそうつぶやいた。
「ああ。俺なんかクスコでデスクトップをバックパックに詰めて、旅してるアメリカ人に遭ったよ。」
僕は深い喪失感につつまれていた。日本に帰るすべを自ら捨て、金も仕事もない、大学にも戻れるかわからなかった。日本を出る時、僕は旅を日常からの出口として考えていた。しかし、それは甘かった。旅は日常より奇妙で複雑な世界の入り口に過ぎなかった。それでも、エクアドルの物価の安さのおかげでここにいる限り問題を先送りにすることはできた。
昼間はスペイン語の学校に通った。何かを学んでいるということが、喪失感を少しは和らげてくれた。暇な時はマリファナを吸った。とりあえずゴチャゴチャ考えなくてすむ。毎日が日めくりカレンダーをめくるように過ぎて行った。
ある日、ペルーから来た旅人が幻覚サボテンを持ってきた。
「サン・ペドロです。」天心飯のように頭を剃り上げた物静かな男が言った。
料理長がそれをみて「これっは効くぞ。九角だ。」とうなった。それは料理人が霜降りの松坂牛をみてうなるようだった。幻覚サボテンとは南米に自生するサボテンでメスカリンという幻覚成分を含んでいる。同じ種類のサボテンでも大きさや形によって効果が違う。古くはインディヘナの霊的な儀式に使われていたが、現在ではLSDに似た効果があるとして暇な旅人とケミカルドラックを嫌う人たちの間でも愛好されていた。地元の人はサン・ペドロと呼んでいた。
早速、料理長はキッチンでサボテンのトゲを取り除き、効くところだけを切り取りミキサーにかけた。それを煮詰めて準備完了だ。部屋に戻り黄緑色のドロドロした液体がコップに注がれた。臭いをかがなければキザミオクラとトロロを混ぜたものと説明すれば誰も疑わないだろう。料理長も天心飯も僕もそのコップをじっと見た。幻覚が見れるという理由だけで、サボテンを煮詰めて飲むのだ。そんなものがうまい訳がない。このサボテンについてもう一つ言っておかなければならないのは、猛烈に不味く、吐き気を催してもある程度効いてくるまで吐いてはいけないということ。それはバリウムを飲んだ後ゲップしてはいけないようなもので、苦労して飲んでも吐いてしまったら意味がない。サン・ペドロが世界的に広がらない理由がそこにあった。
「いきます。」料理長がまず飲んだ。無言だ。必死に吐き気を抑えているのが分かる。続いて天心飯が飲んだ。
「どうですか?」
「……」
二人とも何もしゃべらない。
「こうなればやけくそだ。」僕はグラスを口に押し付け、勢いよく傾けた。少し間をあけてドロッとした液体が僕の口の中に入ってきた。苦さに隠れてとんでもない不味さを舌が感じとった。全てを飲み込むと体が全力でこの異物を排除しようとしているのがわかった。体にある黄緑色のドロドロしているものが今体のどのあたりにあるのかが手にとるように分かった。僕は目を閉じてこの苦痛が早く去っていくことだけを願った。三人とも吐き気を必死でこらえ、水揚げされたマグロのようにじっと横になって苦しんでいると誰かが部屋に入ってきた。他の旅人が様子を見に来たのだ。パチーノと名乗る酒飲みと肉とミルクとバターを食べない完璧ベジタリアンが僕らの隙間に座ったみたいだ。こんな時誰もしゃべりたくないのに「どうですか?効きますか?」などと聞いてくる。パチーノとベジタリアンが「大丈夫かな?」とか「効いてるのかな?」などといっているのが聞こえた。しつこい目覚しに起こされるようにして久しぶりに目を開けるとなんだか部屋がピンク掛っているような気がした。気のせいかと思いもう一度目を閉じて目を開けると、今度は部屋が青かった。料理長も天心飯も効いているみたい。部屋に流れる音楽が脳のひだに突き刺さり、窓に目をやると壁に張り付いた男が窓を拭いていた。瞬きをすると色のついたフィルターが変わるように色調が変わり、壁の模様がウジャウジャと動き出した。目を閉じると頭の中で花火打ちあがる。感情や意識がラジオのチャンネルを誰かに変えられるように飛び、チューンがあうとそこで静止する。しかしトンネル内でラジオのチューニングをしている時のように定まったかと思うとまた動き出す。何かが入り暴れ去っていく。気付くと僕はピンク色をした綿菓子の中に浮かんでいた。そこに船に乗った2次元の男が現れた。紙ぺっらのような男だ。
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「僕は都内にある大学の付属高校に通っていた。入学してエレベーターに乗り込み、扉が閉まり、上の大学で降ろされる。毎朝、出発10分前に起きて、筆箱とウォークマンをカバンに入れ、満員の中央線に飛び乗る。僕と僕の友達たちは決まって先頭車両に乗り運転席に通じる小さなガラス窓から飛び込んでくる外の景色を眺めた。いつも同じ時間同じ場所に乗っているとあたりにいるのが大体同じ顔ぶれなのに気付く。そんな常連たちの中に女子高生の二人組みがいた。一人はギャルで背が高い。もう一人は背が低いあまりぱっとしないが人のよさそうな子だった。手話とか生け花が得意そうなタイプだった。ギャルは手話が得意そうな子に、昨日あったコンパや男の話を八王子から国分寺までの23分間、毎日一方的に話し続けた。その様子は言葉の投球練習だった。コギャルが球を投げ手話の得意そうな子が優しく球を返す。コギャルはいつも大声で話すので僕は彼女について相当詳しくなっていた。男のタイプ、ビールは嫌いだけどジンの一気はもっとキライとか。
ある気持ちいい秋の朝。僕は気持ちよく寝坊をしていつもより2本遅い中央線に乗った。もちろん先頭の車両に乗る。扉が閉まり押し込まれるように車内に詰め込まれると、いつものギャルと向かい合っていた。満員電車でぴったりと密着し僕とギャルは顔を見合わせた。電車が大きく揺れる度に彼女の胸の感触が伝わってきた。僕は彼女のことをよく知っているのに、こんなに近くにいるのに話をしたこともない。目にみえない壁が僕と彼女の間にはあった。そんなことを考えているうちに国分寺についた。彼女の通う学校がある駅だ。僕の体をこするように彼女は電車を降りていった。閉まる窓越しに僕と彼女はみつめあった。彼女は何かを言いかけた。僕も何か言いたかった。電車がだるそうに動き出すと、僕と彼女との距離は再び離れていった。歯医者や塾の看板が彼女の後ろで動いていた。一人でいる時の彼女はコギャルには見えなかった。
あの日を境に彼女がいつもの時間、いつもの場所に来ることはなかった。
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薄っぺらな男はどうでもよさそうに言った。
「可能性を見過ごすな。」
気付くとホテルスークレにはいつもと変わりない朝が来ていた。頭が少しボーとし目が少し霞む気がした。
キトに来て40日が過ぎた。相変わらず経済はぼろぼろでついにエクアドル政府は自国の通貨スークレを捨てドルを流通貨幣とすることを決めた。それでも、人々はみんな明るかった。化粧が下手なスペイン語の先生は
「ドル化を前にみんな将来にすごい不安を持っているの。」と切り出した。そして、「少し授業を休ませてくれないか。」と言った。確かに自国の通貨が消滅するのだから大変だろうと思い、「僕のことは気にしないでくれ。ところで何か問題でもあるのか?」と尋ねると
「明日、家族と海へ行くの。」と嬉しそうに言った。。
ラテンのノリで経済不安を乗り越える気らしい。ホテルの従業員と仲良くなったし通いつけのカフェ・モデルノのウエイトレスと踊りに行くこともあった。僕はキトの生活に完璧になじんでいた。夜はマリファナを吸い、冬の日だまりにいるような時間をすごした。たくさんの旅人がホテル・スークレを訪れ、過ぎ去って行った。世界一周途中の人、バイクでアメリカ大陸を縦断している人、コロンビアのゲリラに潜入取材を試みる人。気付くと料理長も天心飯もいなかった。マリファナを吸いながら世界地図を眺めていると「可能性を見過ごすな。」という言葉を思い出した。僕に残された可能性とは。もう一度地図を見た。ラテンアメリカは日本から一番遠い位置にある。ということはここからもう少し東へ進めば後は日本への帰り道になる。ここからヨーロッパに飛んでトルコからアジア横断で世界一周だ。ロンドンに住む兄貴に頼めば金は何とかなるだろう。兄貴は「地球の歩き方が」が役に立たず「旅行人」がマニア向けの機関紙だった頃のバックパッカーだ。きっと僕の計画に協力してくれるだろう。大学はこの際どうでもよかった。日本に帰ってきてから何とかしよう。この頃僕は学部事務室にE−mailで履修登録や学生証の更新といった手続きの問い合わせをしているところだった。日本にいる友達にも色々と動いてもらっていたが交渉は難航していた。現実や日常が地球の裏側から僕を連れ戻そうとしていた。でも、ここで帰るわけにはいかなかった。ここで帰ったら僕には何も残らない。僕はマリファナの匂いがぷんぷんするシャツとジーンズを洗って、イギリス行きのチケットを手配した。
「世界一周」。それが僕に残された可能性だった。
キトに別れを告げるのはとてもつらかった。通いつけのカフェでいつものカフェ・コン・レチェを頼む。いつものウエイトレスのターニアが熱い牛乳を運んできた。醤油の小瓶のようなものに入ったコーヒーをその牛乳に注ぐ。早い話がコーヒー牛乳だ。
「今日は随分遅いのね。よく寝た?」ターニアが僕の前に座った。
「いや、今日は出発の準備をしていたんだ。」
「どこかに行くの?」
「明日、イギリスに行く。」
「戻ってくるんでしょ?」
「多分それはできない。そのままアジアを通って日本に帰るんだ。」
ターニアが急にカウンターに走り出した。彼女は他の仲間たちにも僕の出発を知らせに行ったようだ。しばらくしてパンと茹で卵とデザートを持って僕のところに戻ってきた。
「店のおごりよ。」
「やっと上手く踊れるようになったのにね。」
「ああ、また君と踊りに行きたかったよ。」
「私とカフェ・モデルノを絶対忘れないでね。」
僕は「絶対忘れない。」という部分繰り返した。ボソボソとしたパンと卵が居心地悪そうに口の中に残っていた。
冷たい雨が降る夜に聖フランシスコの鐘が響いた。
「放浪兄弟はどこまでも」
「おまえも無茶するよな。お母さんすごい心配してたぞ。」僕はロンドンに来てこの二日間、夜はバーで明かし、昼間、公園で寝泊まりしていた。
「だって、一泊3500円なんて払えるかよ。エクアドルの100倍だぜ。日本でジュースが一本1万円だったら兄貴買うか?」僕は勢いよくビールを流し込んでいった。
「まあ、気持ちは分かるけどな。で、これからどうするんだ。」
窓の外ではロングストレッチのリムジンが品のいいダックスフンドのように鮮明な夕闇に染まる町を小走りに駆けて行った。イタリア系のウエイターがさっそうとピザを運んできた。僕はそのピザをつまみながら言った「イスタンブールに飛んで、アジアを横断して帰るよ。」
兄貴はヒラメのソテーをうまそうに口に含んだ。
「お前、そんな金あるのか?」核心をつく質問だった。
「実はそれで頼みがあるんだ。」
兄貴はそんなことだと思ってたという顔を浮かべるとビールの入ったグラスをテーブルに置いた。
「俺もなロンドンで遊んでる訳じゃないんだぞ。で、いくらだ?」
僕は日本帰るための予算を計算し、足りない金額を兄貴に恐る恐る告げた。
「わかった。お前がイスタンブールに行くまでに何とかする。」
「わりーな、兄貴。それにしてもいい店だね。」石焼き釜があるオープンテラスのイタリアレストランだった。
「ああ、最近、雑誌に紹介された。こんな店でいつも食事してると思うなよ。今の俺にはバリューセットも贅沢品だ。」
「わかるよ。」
兄貴が単身渡英し一年が過ぎようとした。兄貴が勘定を済ませ僕らは店の外に出た。夏を前にしたロンドンには不思議な夕闇が延々と続いていた。そろそろ帰らないと母親に叱られてしまう、と子供の頃なら考え出す、そんな懐かしい夕闇がいつまでも続いていた。
「わりーな。泊めてやれなくて。今、仲悪くてさ。」
「いいんだ。今日はありがとね。じゃ、また電話するよ。」
ピカデリーサーカスは土曜の夜を楽しもうとする人で溢れていた。久しぶりの眠らない街に僕はにわかに興奮した。ここでやらなければならない仕事があった。
「たばこ買わないか?」僕はたばこを吸って立ち止まってるやつらに片っ端から声をかけた。イギリスではマルボロ一箱4ポンドもする。つまり¥700ぐらい。僕はエクアドルで大量に仕入れた一箱15000スークレ=¥70のマルボロをロンドンで売りさばくことにした
「いつのまにか旅人すれしたな。」僕は思った。
地下鉄の出入り口、バスの停留所、バーの中。一箱700円のたばこを吸いながらただ時間が過ぎるのを待つ人間を探すのは難しいことではなかった。そして、そいつらにそれを2ポンドで売り捌くことも。手にした小遣いでいつものようにビールを飲み、朝を待ってグリーンパークの芝生の上に横になった。目を覚ますと家族連れやカップルの土曜の昼を楽しむ景色が広がっていた。時より日本語が聞こえてくる。僕は早くここを出たかった。
ロンドンを出る日、兄貴がヒースロウ空港まで見送り来てくれた。空港内の喫茶店でアイス・カフェ・ラッテを頼んだ。
「ほら、約束の金だ。」
「ありがとう、日本に帰ったら、すぐに口座に入れるから。」
「当たり前だ。俺が飢え死にしちまう。」
「兄貴はこれからどうするの?ずっとロンドンにいるの?」
「いや、オランダとドイツに行ってからアメリカに行こうと思ってる。」
「放浪兄弟だね。」
「ああ、お前も気をつけて帰れよ。途中でアフアガニスタン行ったやつにあったら色々聞いといてくれ。」
「わかったよ。メール送るからさ。それじゃあ、そろそろ行くわ。色々ありがとね。」僕はクラッシュアイスに刺さったストローの口を思い切り吸い込んだ。プラスチック臭い空気と氷が溶けた水に混じってかすかにコーヒーの味がした。あまったタバコを兄貴に渡し、バックパックを担ぎオアシスの「モーニング・グローリー」が流れる喫茶店を後にした。イギリスに来てオアシスを聴いたのはここが最初で最後だった。
「イスタンブールの夕暮れと偽造文書」
海がある景色が僕は好きだった。僕はイギリスからフランスを経由してトルコにいた。僕はこれから横断するイラン、パキスタン、インドのビザを申請して、書類がそろう間にエフェスやトロイの観光地を巡った。イスタンブールで知り合った日本人とバイクを借りてカッパドキアの奇岩が広がる荒野を走った。麦わら帽子を被った彼と荒野を走っていると、突然ギャング映画の一斉射撃のような雨が降り出した。見回してもと辺りは岩と畑だけ。雨宿りできるような場所はどこにもなく雨はますます激しくなり僕らはずぶ濡れになりながらただ笑った。しばらく走ると荒野にトレーラーハウスを見付けた。そこにいたトルコ人が僕らを手招きした。
「おい、おれたちを呼んでいるぞ。」麦わらが言った。
「本当?!助かった。」
僕らはバイクを停め、雨に濡れ震えながらトレーラーハウスの中へ入るとトルコ人の親子がストーブをつけ、熱いチャイを出してくれた。僕らが片言のトルコ語で礼を言うと、トルコ人のオヤジが「おい、日本人が今トルコ語をしゃべったぞ。」という顔をして笑った。その笑いを見て僕らも笑った。すると、トルコ人の子供も笑った。部屋に漂うチャイから出る白い湯気がかすかにゆれた。
「だめだ。お前にはビザはやれん。」妙に立体感のある口髭を蓄えた男がいった。僕はトルコの首都、アンカラのイラン大使館でイラン入国のビザを申請していた。
「なんでだ。俺はただイランを通るだけだ。」僕はONLY TRANSITっと叫んだ。
「お前の書類のここがだめだ。」イラン大使館の男は僕の日本大使館の書類を指差して怒鳴った。「ここにイスンタンブールって書いてあるだろう。イスンタブールに行け。」
たしかに、イラン大使館の言い分は正しい。僕はイスタンブールでもらった大使館の書類をアンカラのイラン大使館に提出しているのだ。横浜市役所でもらった結婚届を渋谷区役所に出すようなものだ。それでも僕は突き返された書類を手に必死に食い下がった。
「いいじゃん。それくらい。」
「だめだ。だめだ。アンカラのレターを持ってこないならイスタンブールへ行け。」
アンカラの日本大使館はゴールデンウィークにあわせ休館中で来週まであかない。僕はアンカラで4、5日待つか、イスタンブールへ戻るかの選択に迫られていた。
僕はある決意を胸に文房具屋に向かった。僕はそこでさっきの日本領事館の書類を取り出し、ISTANBULと書かれた部分に紙を張った。文具屋の店員に書類を渡すと慣れた手つきでコピーを始めた。コピーされた文書からISTANBULという文字は見事に消え、ほぼ完璧な偽造文書ができた。
再び、イラン大使館へ行き気持ちを落ち着けてからさっきの男に文書を手渡した。
「おい、日本大使館は休みじゃないのか。」
「ああ、だけど知り合いが大使館のお偉いさんなんだよ。」
「名前は?」
「え、…」
イラン大使館の男はすごい剣幕で怒鳴りだし、ペルシャ語でなにやら辺りにいる人に何かを言っていた。やばい。僕はコピーした文書を手に足早にイラン大使館を後にした。
僕はイスタンブールに戻りボスポラス海峡を望む岸壁に腰をかけてビールを飲んでいた。捨てられたビニール袋のようなクラゲが漂っている海を船が「ザブンザブン」と音を立てて横切った。船が行ってしまった跡には「サワサワ」と細かい泡がはじける音が残った。コーラの入ったグラスを耳に近づけたようなさわやかな音だ。ひょっとしたらクラゲが飛び散った音かもしれない。モスクのかなたに夕日が沈んでいくのが見える。そんな景色を見ながら「もう先へ進むしかないんだ。」と考えていた。地球を半周したところから僕の頭の中から「日本へ帰る。」という概念が消えた。地理的にも意識的にもそういう考え方ができなくなっていた。旅に出る前の僕を取り巻いていた日常や現実は所有者が離れて実態のない抜け殻になった。そういった日常や現実の抜け殻は一定期間保存される。ケイタイのメモリの中やビデオクラブの会員証に。でも、保存期間を過ぎても更新しないとその人の日常や現実の痕跡は消去されていく。僕は「日本に行く」のが恐かった。気付くと墨汁のような海面に街の灯りが浮かんでいた。「とにかく進むしかないんだ。」僕はビールの缶を海の灯りめがけて投げ込んだ。今日で僕は21歳になった。
結局イスタンブールのイラン領事館でビザを取得した帰り道、ムギワラと一緒にサバサンドを食べに港へと向かった。岸壁に横付けされた船の上でサバを焼いてそれをパンに挟んだものがサバサンドだ。カモメがおこぼれを狙ってあたりを旋回していた。ムギワラは塩とレモンで味付けされたサバをパンから取り出し純粋に焼き魚として食べていた。
「太陽と風」
アジアに入ってから、僕は淡々と東へ東へと進んだ。「深夜特急」や猿岩石によってアジア横断は開拓済みのルートとなっていた。どこへ行っても日本人がいて国境の越え方や見所から女・薬の買い方まで情報に事欠くことはなかった。大概の情報は正確でその情報を自分の目で確認するように旅をすることになる。
トルコのイスタンブールからイランのテヘランを結ぶ国際バスに乗った。麦わら帽子をかぶった日本人も一緒だ。チケットを買う時、ツアーオフィスの女は27時間でテヘランに着くと言っていたが、二日目でノアの箱船がたどり着いた伝説を持つアララット山を横目にトルコ・イラン国境を越えた。バスの中のイラン人はひどく訛った英語で「名前は?」「歳は?」「どこから来た?」と尋ねてくる。やがて訪れる沈黙に嫌気が差すとペルシア語で一方的にまくしたててくる。時間をずらしてバスの乗客全員が代わる代わる僕らのもとへやってきてはそんな脈絡のない話をしては満足そうに自分の席へ戻って行った。
「疲れるね。」と僕がぼやくと
「全くだ。いつになったら着くんだか。」ムギワラが応えた。外には果てしない砂漠が広がり乾いた地面に突き刺すように植えられた苗木が不憫だった。
夜になりようやく静かになったと思うとイラン映画が大音量で上映された。カット割ごとに監督の合図を待つ役者の息吹きが伝わってくるようなアクションラブロマンスだった。イスタンブールを出発して60時間ようやくテヘランについた。ザムザムコーラで喉を潤す。反アメリカ、反コカコーラから生まれたイラン産のコーラだ。味は駄菓子屋のコーラに似ている。
ムギワラとはエスパファンで別かれ、僕は一人、アルゲバムという廃虚となった街にいた。泥を固めたつばめの巣のような土壁が夕日に照らされ、不気味な影を地面に投げかけていた。土壁を奇麗にくり貫いた窓は埴輪の目のように空虚な闇を宿していて、無数の窓から発せられる深い闇は虚無がとうの昔にこの街を被ってしまったことを僕に教えた。風が吹くと砂が大地をなでる音が聞こえ、風が止むとその音は空虚な闇に吸い込まれて行った。世界を吹き荒れた風はあらゆる空虚さをここに運び埴輪の目のように奇麗にくり貫かれた窓の奥に静かに吸い込まれていく。
イラン国境を超える日、猛烈な暑さが砂漠を支配した。スティフィー・グラフがトスしたテニスボールのような黄色い太陽が高々と上がっていた。タクシーの窓を開けると赤くなったニクロム線に風を送るドライヤーのような熱風が吹き込んでくる。危険な暑さの中、国境を越え、パキスタンのクエッタ行きのバスに乗り込んだ。
砂漠に沈んでいく太陽は、膨らみすぎて死を待つ線香花火のようだった。突然人々はバスを止めその腐ったオレンジのような太陽に向かって祈りだした。絶望への許しを請うように彼らは砂漠に身を伏せ、地の果てに祈りをささげていた。彼らの願いはやがて砂となり新たな空虚さが風に乗ってこの不毛な砂漠を吹き荒れていく。
パキスタンのクエッタで僕はアフリカ帰りの日本人バックパッカーとカレー屋に行った。暑さのため食欲はなかったのだがスパイスの効いたオクラカレーをナンにつけ口に入れる。そして、熱くて甘いチャイを舌の上で転がす。外を見るとコンロの火の熱気で景色が揺れていた。
「うまいっ。」僕はうなった。
「本当、本当。この辛さと甘さがいいだんよね。」
カレーとミルクティーの組み合わせがこんなにイケルとは思わなかった。店にいたパキスタン人はカレーが誉められたのが嬉しかったように笑った。結局、僕らは額に汗して全種類のカレーをその日のうちに食べてしまった。
「インド人にしてやったり」
パキスタンを出るあたりから僕は体に変調をきたしていた。50度近くなる日中の暑さ、ファンをつけぱなしにして寝たこと、疲労、水、食事。理由はいくらでも考えられたがとにかく調子がよくない。ワガボーダーを越えインドのアムリトサルについた時、熱が出てめまいがした。「ついに来たか。」と思った。休養が必要なのは分かっていたが部屋は暑くてジトっとしていて、ジッとしていてもよくなる気がしなかった。パキスタンに入る前、期限切れだった海外旅行者保険の延長手続きしたことだけが少し気を楽にさせた。これ以上悪くなったときのことを考えて、僕は首都のデリーまで行くことを決めた。病院の設備もここよりはましだろう。
正規運賃の倍を払いデリー行きのバスに乗り込んだ。ねちっこいインド人相手に金額の交渉をする体力も気力もなかった。席に腰を下ろすと体中の関節が痛かった。僕の隣りに座ったインド人は弱った僕を見るなり僕の領域に足を踏み入れた。
「悪いが風邪をひいてて寒いんだ。」僕は隣りに座ったインド人が開けた窓を閉めた。しばらくするとインド人はまた窓を開けた。怒ろうとすると頭がずきずきと痛み、重たい咳が込み上げてきた。僕は黙って目を閉じた。その後も隣りのインド人の領土侵犯は続き、僕は身を小さくして寝なければならなかった。
朝、座席から身を起こそうとすると体が軽くなっていた。まだ少しだるかったがもう熱はひいていた。「まだまだ、ツキは落ちてないぞ。」僕は自分に言い聞かせた。
牛が道路を歩く緑の田園地帯を眺めながら、治った理由を考えていた。しばらくして隣りのインド人が聞き覚えのある重たい咳と共に目を覚ました。隣りのインド人は目を覚ますなり窓を開け、重たい咳にからまったタンを吐いた。溶けそうな目で僕を見て僕の領域から足を引いた。
インドに行ったことのある日本人なら分かることだが、インド人は手強い。ぼったくっられたり、欺かれたり、日本語でバカにされたりと悔しい思いをする。そして、何よりもインド人はわからない。それはやり直す度に違う答が出てくる難解な数式のように人を混乱させて滅入らせる。僕はインドにも旅にも疲れていた。
「インド的中央線の世界」
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月に一度か二度、誰かがどこかの駅から電車に飛び込んだ。飛び込み自殺があると、駅の窓口では電車が遅れたことを証明する紙を死んだ人の骨のかけらを配るみたいにばら撒いていた。僕はいつもその真っ白な骨のかけらをテーブルの上で砕いてマクドナルドのコーヒーに入れて飲んだ。誰かの死は混沌の中で形を変えて誰かの生につながっていた。人身事故があった日は遅刻扱いにならない。だから、僕は時間を気にせずゆっくりとコーヒーが飲めた。眩しい朝日に照らされて魂が昇華していくかのような湯気が浮かび上がった。
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バラナシからカルカッタへ向かう電車の中で高校時代を思い出した。配せんがむき出しの扇風機が錆びたブランコような音をたててだるそうに回っていた。
ある旅人が高円寺をインドっぽいと言っていた。僕はガンジス川を見てその意味がなんとなく分かったような気がする。ごちゃごちゃとした感じ、殺伐とした感じ、そして業を生きる人々の群れ。バラナシにいた人と中央線にいた人はどこかでつながっているような気がした。疲れて擦り減っていくだけの人生に出口を探しながら生きていた。しかし、結局、出口はまた新しい世界の入口につながっていた。
夜になっても車内は蒸し暑く、暗い二等寝台の車内には異様な空気が漂っていた。深夜、灯りを煌煌と灯した特急電車とすれ違った。鉄格子の隙間から飛び込んでくる断続的な光が無声映画のように部屋の絵をこま送りで映し出していた。
僕にとって旅というものにはささやかな定義がある。それは何があるかわからない空間
を通過する事。あれはまだ僕がプロ野球選手に本気でなることを夢見ていた頃だから幼稚園を卒業する年。近所のスーパーを通りぬけ、一人でバスに乗って駅前のデパートにお使いにいった。人込みを掻き分け、商品をかごに入れ、レジに並び、お金を払う。そして、バスに乗って帰る。それだけのことだ。傾いた日に照らされ長く伸びた影法師を見て、自分が大きくなった気がした。そして、新しい世界を知った帰り道はいつもと違って見え、僕はとても満たされた気分だった。これが僕にとっての旅だ。