main

「ラスト・バックパッカー」
                                 アカハナジロウ

『再び旅へ』
 試験官に「また来年会おう。」と言って答案を渡した。10ヶ月の試験勉強がこの2日に集約されていたことは、すでに忘れ始めている。バックパックを担ぎ、大きく息を吸った。山に縁取りされた空がやけに大きく見えた。最後の旅が始まる。

『モンタナの家族』
試験が行われたホテルの駐車場で、パットと待ち合わせていた。といっても、私たちは一度も会ったことがない。二ヶ月前、会計士の試験を受けるモンタナ州について、調べてみようと思った。「MONTANA」のつくサイトをいくつか眺めていると、クマが河を渡る写真が載ったホームページを見つけた。

「きれいな写真ですね。今度の11月にCPAの試験を受けにモンタナに行きます。私も写真が大好きです。試験が終わったら、モンタナの大自然やネイティブアメリカンの写真を撮りたいと思っています。どこか安く泊まれる宿かフォストファミリーを知っていたら教えてください。」
私は会ったこともないホームページの作者に自分のサイトのURLを添えてメールを出した。しばらくして、作者から返事が来た。

「写真見ました。すごくたくさんの国を旅したのね。ずいぶん前だけど、日本人の交換留学生をホームステイさせていました。名前はキタロウです。日本人は礼儀がよくて、静かで大好きです。試験が終わったら、うちに泊まりに来ていいわよ。私の主人は、ネイティブアメリカンです。」

私はこのとき以上にインターネットを正しく有効に使ったことはないかもしれない。

 駐車場に赤いジープが停まっていた。あれだと思って、近づこうしたとき、扉が開いた。
中から白人女性が近づいてきた。パットは典型的なアメリカ中年白人女性だった。ブロンドで顔と比べて胴体が大きい。ハグを交わして、車に乗った。車内には夫のドン、長男のマイク、長女のサミーが待っていた。パットの言うとおりドンはネイティブアメリカンで丸顔が優しいそうな男だった。マイクもサミーもネイティブアメリカンの特徴が強かった。
 私はつたない英語を隠すかのように興奮しながら、飛行機で降りる場所を間違えたこと、
試験が難しかったこと、今回の旅は「家族」をテーマに撮ろうと思っていることなどを話した。
 冷たく暗い夜にはガソリンスタンドの明かりと山焼きの火だけが浮かんでいた。四人の家族に出会うはずもない日本人の旅人。車内が時より静まり返ると、誰かが沈黙をかき消すかのように、喋る。まるで風船を地面に落とさないように替わる替わるに突き上げるゲームのようだった。その風船の姿をこの時はまだ知らなかった。

 11月のモンタナはもう冬。昼前に起きた。厚い雲を通過した光は、時間の感覚を持っていない。一日中どんよりした空から雪が落ちてきた。荷物が詰まった段ボールの横で燃えさかる暖炉をみつめた。ドンは早朝から仕事、マイクとサミーは高校へ行った。家はとても静かだ。ドアを開けると、猫のフランキーが冷たい空気を背負って入り込んできた。幹線道路からはずれ山に囲まれた家は冷たい宇宙に浮かぶ宇宙船のように隔離されていた。管制官と連絡を取るためか、それとも助けを求めているのか、パットは一日中電話かチャットをしていた。外は寒く、歩く人はいない。移動は全て車で行う。誰かに出会う予感がしない。東京の交錯する人とモノが織りなす人工的な孤独とは違う本当の静寂があった。私は長電話というものが好きではないが、ここに住む人に致し方ないものに思えた。
 パットの泣き声が聞こえた。静かな家に降り積もる雪の音にも宇宙船に鳴り響くSOSにも聞こえた。

  「どうしたの?」私は声をかけた。

「悲しい。叔母がとても酷いことをいうの。」パットは目を晴らして言った。
「それに、マークも大変なの。奥さんが裁判を起こすって言ってるわ。マークはここ2,3日まったく寝れないみたい。私たちには誰も身方がいないのよ。」
 
 「マイクやサミーは?」

「マイクもサミーも理解してくれているわ。だって離婚が決まるまで、毎日泣いてばかりいたのよ。サミーは最近、私が明るくなったと喜んでいたわ。」
 パットはフランキーの腹を撫でた。
「でも私はすべてを捨てるの。この家はドンと建てたのよ。この壁の板をうち付けたのも、壁を塗ったのも私なのに。フランキーともお別れよ。」  
 「気の毒に。」私はI am sorry としか言えなかった。空中分解しかかった宇宙船はパイロットの離脱を前に一層混乱していた。ドンには仕事、マイクやサミーには学校がある。しかし、パットには家庭が全てだった。そのパットが今の家庭を離れ、マークと新たな生活のスタートを切ろうとしている。私はごった返した宇宙船にやってきた宇宙人だった。

 窓の外を見ると、マイクが一人でバスケットボールをしていた。高校から帰ると、マイクは車のステレオをいじるか、ゲームをするか、バスケをする。振り向きざまにシュート、フェイクを入れてレイアップ。一人黙々とシュートを放つ姿は、静かに祈っているかのようだった。

 「いつも一人でバスケかい?」私はドリブルするマイクの行くてを遮って言った。マイクは反転してシュートを決めた。
    「お前の番だ。」

 私はガレージを斜めに走り、シュートを打った。ボールはゴールを大きくはずれ、芝生の方へ転がっていった。その後ろには木立が広がり、隙間からは銀色の雲が滲んでいた。
「彼女はいないの?」
    「いないよ。女なんかくだらない。」マイクは少し苛ついたように言い、私を押しのけるようにドリブルを続けた。コンクリートを叩くボールの音だけが、鮮明に響く。耳の良いどこかの部族なら1km先でも聞こえたかも知れない。
「まあ、俺もマイクの歳の時は、バイクばっか乗ってたな。でも、彼女はいつも欲しいと思っていたぜ。」
 「だからいらないっていっているじゃん。」マイクは明らかに苛ついていた。私は話題を変えることにした。
「高校3年だろ。卒業したらどうすの?」
  「海兵隊になる。特殊部隊に入るんだ。」マイクはライフルを構える振りをし、引き金を弾いた。ボールの音の間隔が近くなり、やがて消えた。

****************************************
「ブフォン、ブフォン」引き金を引くとかすかな反動を残し、弾丸は飛んでいった。私たちは無邪気に騒ぎながら、初めて撃つ銃の感触に興奮していた。高校3年の冬、クラスの仲間8人とグァムへ出かけた。飛行機では飲みまくり、スチュワーデスと記念写真を撮った。ビーチでは日光浴をしている友達をみんなで埋め、夜はバドワイザーを飲み続けた。朝には信じられない数の瓶が散乱していたのを覚えている。恐いものなど何もなかった。そして、自分たちはいつまでも自由だと信じていた。大学の付属学校に入った私たちには受験や進路という悩みがなかった。そして、大学に入っても今の生活が続くことを確信していた。まるで冷たい宇宙に浮かぶ暖かな宇宙船にいるようだった。目的もなくをぐるぐる周回軌道をまわった。時々同じ景色が目の前に広がり、一年が過ぎたことを知った。食料と酒を満載し、現実を忘れるために騒ぎ続けた。
 バーからの帰り、貴公子が話しかけてきた。貴公子は見るからに育ちがよく、体育のクラスが終わると、ブルガリの香水をつけていた。成績も常にトップクラスだった。
 「卒業したらどうするの?」貴公子は夜通し飲んだにも関わらず、朝、駅前で会ったときと変わらないさわやかさで話しかけた。
   「別に。何も変わらないよ。貴公子は?」ショッピングセンターに植えられた椰子の木が揺れると、生温い風邪が吹いてきた。
 「わからない。でも、変わらないといけないと思っている。」
    「別に変わらないといけない理由なんてないさ。」私は少し嫌な気分になった。
 貴公子は私の気に触れたことを察し、残りの帰り道を無言で歩いた。 
  翌日、私たちは射撃場に行った。海にも買い物にも飽きていた。射撃場のスタッフは時より日本語を交えて説明し、私は銃口を的に向けた。引き金を弾くと、薬筒の落ちる音が寂しく胸に響いた。
**************************************** 

  「ブフォン」マイクは唇を噛みながら銃声の真似をした。私がグアムで撃った銃より現実感があった。
 「人を撃ちたいか?ゲームみたいに。」私は聞いた。
   「知らないよ。でも、鹿を撃ったことはある。」
 「どうだった?」
   「とても興奮したよ。」
 マイクが空に構えた銃口は明らかに現実の的を向いていた。

その夜、ドンとストリップバーに出かけた。冬の道に浮かぶ明るい小屋に、群がるように車が集まっていた。バーカウンターとビリヤードの台の間を抜けると、銀色の大きなテーブルがあった。チップをテーブルの上に置くと、ダンサーたちは花を吸う蝶のように舞い、チップを取って去っていった。あっけらかんとした雰囲気に私はいやらしさを感じることがなかった。
 ビールを飲みながら他の客を観察すると2種類の人間がいることがわかった。一つはビールをあおり、ダンサーに歓声をあげながら楽しんでいるやつ。彼らは日本人の私をみつけると、イチローと叫んだり、カンフーのポーズをしてきた。ビールをおごってくれるやつもいた。どこの居酒屋やバーにいるノリのいいやつらといったところだ。
 もう一つタイプが私の目を弾く。静かに座り、目を点にしてダンサーを凝視しているやつら。ダンサーがどんなに近づいても、テレビでも見ているように無表情だった。彼らは女が嫌いなのか、恨んでいるのかも知れない。1ドル札をかき集めるために踊る女たちを傍観して、軽蔑しているかのようだった。ダンサーたちは彼らの前でもセクシーな笑顔を崩さず踊る。その姿がとても悲しくみえた。
 私たちは帰ることにした。冷え切った車内で、どのダンサーが一番チップを集めていたかなどたわいもない話をしていた。
  「もう女と関わることは一生ないだろうな。」突然、ドンが宣言したように言った。どんな話の経緯だったかは、思い出せない。ひょっとすると独り言だったのかも知れない。対向車の光が時々、私たちの顔をなでていった。

 「誰、あなたは?」バスの運転手は怪訝な顔で私を見た。
「日本人の旅人。私の家に泊まっているの。今日、高校を見学するのよ。ちゃんと許可も取ってあるわ。」サミーが助けてくれた。バスは山の小道に点在する家々を廻り小学生から高校生までを学校へ運ぶ。私が滞在するアーリーはフラットヘッドレザベーションというネイティブアメリカンが多く住む地域である。構内はネイティブアメリカを多く目にした。はじめに見学した歴史の授業も、先住民の苦難を扱った内容だった。懸命に教鞭をとる先生に比べ、生徒はどこか興味がなさそうだった。
 昼食が終わると、マイクの友達にデザートに誘われた。車は幹線道路を外れ停車すると、煙をくゆらせたデザートが回ってきた。
  「これで、楽しく授業が受けられるぜ。」誰かが言った。私たちは林の中でリラックスした時間を過ごした。効果はてき面だった。 

 午後の授業は家庭科だった。おもむろにミシンを取り出し、キルトを作り始めたマイクを見て、笑いが止まらなくなった。悪ぶっているマイクの縫い物姿はブランドモノで決めた女の鞄からネギが飛び出ているより面白かった。
  「マイク、何やっているんだよ。」
    「縫い物だよ。」手先を器用に動かして、マイクは布を縫い合わせていった。最初はからかい半分で笑っているものと、多めに見ていた先生も私の異常に気付いたようだ。緊張が余計に笑いを助長した。こうなるともう止まらない。私はトイレに駆け込んだ。白い壁がやけに眩しかった。

 「お前の方が俺よりよっぽどバッドボーイだぜ。学校で葉っぱをキメタことなんてないぜ。」マイクはステレオのボリュームを上げて言った。重低音が効いた音は振動だった。マイクは人通りのある場所を見つけては、窓を開け、ボリュームを全開にする。時々、中指を立てるやつもいたし、喧嘩をふっかけるやつもいた。そんな奴らには目もくれず、走り続けた。目の前には黒い大きな山が近づいてきた。マイクは良いところがあると言い、車の向きを変え、細い道を登っていった。
「ダンシングマン。」山を指し、マイクが言った。黒い山肌に残雪で踊っている男が描かれていた。
 「ネイティブ・プライド。」マイクはぼそっと言った。
「今でも、白人に怒りを感じるときがあるか?」
  私の問いにマイクはうなずいてから「その話は止めよう。」と言った。
 マイクもサミーもドンとパットの間に産まれたのではない。養子として育てられてきた。レザベーション(先住民居住区)では、失業やアルコール中毒が社会問題となっており、養子に出される子供も多い。そんな中でネイティブの誇りとは、かつて大草原でバッファローを追い、自然と共存して暮らしていた頃からアーリーを見下ろしてきたダンシングマンだけが知っているのかも知れない。

『決別の日』
 分厚い雲を突き抜けた光が地下室に注ぐ。受話器を持った手を震わせて、パットが泣いていた。寒さがうるさいかった。
 「またひどいことを言われたの?」
    「そうよ。」パットは目を真っ赤にして言った。
 「なんで?離婚がそんな悪いことなの?」
    「わからない。でも、私はもうドンを愛していない。始めから愛していたかもわからない。まわりが結婚しろって。今はマークと新しい生活がしたい。それだけなのに。みんな神が、裁判がってもうたくさんよ。」
 「宗教とか法律って人を縛るためにあるんだよ。しかも、離婚してはいけない教えは人生が50歳の頃のだよ。」私なりの正論を言った。
    「そうよ。私はずっとそういい続けて来たのよ。初めて理解してくれる人がいたわ。あなたが来てくれて本当に良かった。」そう言われると私は少し嬉しくなった。

 明日、パットは家を出ていく。地下室で思い出の品を自分の箱に入れていた。
「その棚の箱を取って。」私はパットに指さす箱を取りだした。中にはクリスマスツリーの飾りが詰まっていた。マイクとサミーの小さい時の写真が載ったカードが出てきた。「ママへ」と始まる手紙を少し開くとジングルベルの曲が流れてきた。電池の切れかかった電子音が地下室に響いた。一つの家族の消滅を前にカードは無邪気にはしゃいでいた。
「毎年、クリスマスツリーを飾るのは私の仕事だったの。でも、今年からツリーはなしよ。サミーも面倒だから要らないって言うし。」パットはカードを閉じ、箱に入れた。再び静寂が訪れた。さっきよりも静かな地下室で作業を続けた。

 夜、ピザを取った。パットが出ていくのを機会に私もこの家を去ることにした。州都ヘレナで写真展をやる予定があった。暖炉の前で、ピザを囲みビールやペプシを飲む。ありふれた家族の食卓だった。これだけ見ているとなぜこの家族が離ればなれになるのだろうかと思う。しかし、最後の夜にしてはあまりにも普通すぎる。食事が終わるとサミーは部屋で音楽を聴き、マイクは友達とゲームをしていた。ドンとパットは暖炉の前でイスの修理をしていた。二人で足を押さえ、ドンがネジを回していた。ゆっくりとドライバーを回す姿は何かの儀式のようだった。電話がなった。またパットにだろうと思っていたら、電話は私にだった。
「おっす。元気?」アメリカに大学した後輩からだった。なんだかとても近くにいるように感じた。
「どうした?」
  「NY行くんだろ?」後輩の歳の差をわざと意識しない生意気な口調は変わっていなかった。
「ああ、行くよ。」私もぶっきらぼうに応える。
  「俺も行くんだ。あっちで会おうよ。」
「お、いいねー。それじゃ、NYで。」
 電話をするために外に出ていたのだが、チラチラと雪が降っていた。庭を見ると一頭の鹿が私を見ていた。耳を震わせて、遠くを見たかと思うと、雪の降る青白い夜に消えていった。

 翌朝、パットと家族の別れを眺めていた。芝生の上に桟橋のように伸びるデッキの上で、抱き合う二人は恋人同士のようだった。しばらく抱き合ったまま、目をつむっていた。マイクとサミーがかわるがえわでその輪に入る。サッカーの試合が終わった後、選手がお互いの健闘を讃え合っている時の姿に似ていた。わたしはその試合の審判だったのかも知れない。客観的に判断を下し、感情的にならないように選手の不満を聞く。この役割ができるのは、誰とも利害が絡まない人間がいい。初冬の小さな町に突如やってきた旅人。出会いはインターネット。恐らくここに戻ってくることもないだろう。大きく息を吸ってパットが待つ車に乗り込んた。



『電線が続く』
 私はパットとマークと共に熊本プラザへ向かった。幹線道路を走る途中、パットの新しいパートナーは送電線の前で車を泊めた。
 「この送電線は私が設計したんだよ。」平原を貫いて山へと消える送電線を指差し誇らしげに笑った。続けて材質や設計上の難点を語った。地形や距離を考慮し、どこに送電線を通していくかが技術者の腕の見せ所なのだ
   「これはスゴイ。」私は、空に浮かんだ五線譜のような電線を見上げて言った。

 モンタナ州と熊本県は姉妹都市で、県の事務所がここヘレナにあるのだ。今夜はここでイベントがある。そこに写真を展示させてもらうことになっていた。アメリカ人の職員がパットとマークへ展示している着物や兜について説明をしていた。アメリカ人だけで話しをする二人は他人だった。すっと私を意識することをやめ、本来の自分に戻っていくのが見て取れた。私は少し悲しくなった。人間としての距離をそこに感じてしまったのだ。その間、事務所の伊藤さんと簡単な打ち合わせをし、展示に取りかかった。写真展を海外でやるのは初めてだった。持ち合わせた写真は中南米の写真が多かった。それらの写真を壁にかけ、部屋の真中のテーブルに日本で撮ったスナップを並べた。準備が終わるころには、会場には続々と来場者が入ってきた。
 兜や焼き物などが置かれ、着物やはっぴを着た職員が案内をしている。誇張された日本があった。映画のワンシーンで見るような他のアジアの国との混同がないのが、まだ救いだった。あえて日本を演出しようとした時に、どこまでも日本はアメリカの影響を受けているとわかる。自分も着物に着替えようとした。服を脱ぐ。パンツいっちょになって、着物に袖を通す瞬間、私は妙な違和感を感じた。アメリカナイズされた普段のパンツ姿に、無理してきる着物。電線が写らないように画面を構成しながら撮影する時代劇の裏側を見たときの気持ちに似ている。

* ***************************************
 数年前のとても寒い日、電線が絡みつく電柱の写真を撮った。それは病院のベッドでチューブにつながれ死に行く患者のようだった。不自然にコードが絡まりながらも立ち続ける木。恋人に嘘をつくための電話線やオーブンでパンを焦がすための電線、人間の欲望がその木に唯一の存在理由だった。私はその木を見上げて、静かにレンズを切った。罪滅ぼしか供養するような不思議な気持ちだった。その時はこの写真が彼の存在を伝える唯一の証拠となるとは思わなかった。
 しばらくして彼の立っていた道から一切の電柱が撤去された。道端には都市景観の観点から電線を地中に埋めたことが誇らしげに謡われていた。
* **************************************

 「すばらしい。これはアートだわ。」来場者の一人が電柱の写真を手に取り言った。
「そう。これは日本の中でも最高のアートだよ。」私は答えながら、せめてもの供養になっただろうかと考えていた。外には冷たい風が街灯を消そうとしていた。

 熊本プラザでの写真展で知り合ったアメリカ人と日本人の夫婦のもとに2日ほどお世話になることにした。
 「私の家の教えでは、男の人の車に乗る時は、後部座席に座るのよ。」日本人の妻が答えた。お茶を持ってきてくれた。
   「彼女の家はとても厳しかった。僕らは結婚するまでの7年間、付き合ってることは内緒だったんだよ。」台所で料理を作るアメリカ人の夫が言った。夫は英語教師として長い間、日本にいたので流暢な日本を話した。
 「とにかく早く日本を、あの家を出たかったわ。」妻はソファーに腰をかけて言った。手にしたお茶の湯気が揺れていた。
「で、どうですか日本を出て。」私は芸能記者のように聞いた。
 「主人のいる所が私の居場所なの。だって彼、本当に働き者でしょ。」妻がそう言うと、夕食を運んできた夫は照れながら笑っていた。お似合いの夫婦だと思った。
 「でも、仕事がなかなかないのよ。やっとスーパーの仕事が見つかったけど、結構大変。」
「楽園はどこにでもないってことですか?」私は久しぶりの日本食を頬張りながら尋ねた。
 「そんな、ところね。あなたは何をしているの?」妻が聞いた。
 私はかつて楽園探しの旅に出たこと。楽園は自分が作るしかないと決心したこと。今回の旅は「家族」をテーマに写真を撮っていて、先日まで離婚する家庭に滞在していたことを話した。
 「すると離婚は良くない。」物静かな夫が言い放った。いつもの口調より少し口調が強く感じた。
「確かにね。でも、お互い好きなことするほうが良いし、離婚がいけないと決めた時代は人生が50歳までだって。」私はパットに言ったことをそのまま言った。
  「離婚をして良いのは、相手が浮気した時だけ。好きなことをすれば良いっていうなら、ヒトラーは人殺しが好きだったから虐殺をして良かったことになる。僕らにはルールが必要なんだ。」夫が続けた。
 「ルールってキリスト教?」言ってから少し後悔した。
   「僕にはね。幼いときからの決まりだよ。」しばらくして夫は寝室へ言った。妻も夫についていった。彼らは決まったルールと秩序を守って、広大な宇宙を旅していた。私は少し安心した。安定飛行をする宇宙船にやってきたのだ。非常事態のルールとは違うルールもあるのだ。
 次の日、撮影を予定していた別の夫婦からキャンセルの電話があった。喧嘩をしたらしい。あまり驚かない自分がいた。


『ニューヨーク・ストリート・アーティスト日記』
 JFK空港に着いた。私は今まで14カ国を旅する中で、新しい街に飛行機やバスで到着した時はいつもこう言っていた。
 「街の中心部まで。」タクシーでもバスだろうとまずは街の中心部まで行き、情報を集めればなんとかなってきた。だから今回の旅はガイドブックなど持っていなかった。
   「街の中心部ってどこ?」バスの運転手は首を傾げていた。
 「ええと、ホテルとかがたくさんあるところ。もちろん安いホテルだよ。」私は出発を急ぐ運転手を引き止めた。
   「そんなところ知らないよ。」バスの運転手は苛立っていた。
 もうどこでもよかった。ニューヨークの地名を思い出そうした。
 「タイムス・スクエアーは通るかい?」黄色のタクシーが走る間にネオンが輝くビルしか頭に出てこなかった。
   「近くなら通るよ。」運転手はこっちを見ずに言った。
 私はバスに乗り込んだ。中国系の運転手はトランシーバーで「もう直ぐ行くから。」といった内容を話していた。中国にも英語にも聞こえなかったが、意味だけは分かった。バスはすぐに渋滞の高速道路に捕まった。ドライバーは相変わらずトランシーバーに向かって怒鳴りつづけていた。「俺のせいだって言うのか。遅れているのは、渋滞のせいだ。」彼はそう言っていた。怒りに満ちた赤色テールランプの行列を見ながら、私は「ニューヨーク」という言葉の響きを確かめていた。

* ***************************************
 東京 120km
 緑に白で書かれた看板はあっという間に視界の後方へと消えていった。高速道路の「東京まで○○km」の看板を見たとき、東京をもっとも身近に感じる瞬間である。その言葉からはチャンスとスリルがこぼれ落ち、ちょっと危険な匂いがした。示された距離を正確に走れば、そんな東京につきそうな気がする。しかし、気づいた頃には東京は分断され八王子、高円寺、新宿への距離が看板に表れる。夏の逃げ水のように、近づくと消えてしまうのだ。東京とは数え切れない人の日常を抱えるただの器。ある一定の距離からは、おぼろげにその姿を見ることはできる。だが一度、中に入ってしまうと東京の姿は見えない。外からしか見えない街。東京。素敵な街だ。
***************************************

 バスを降り、地下鉄に乗りタイムススクエアーへ降り立った。改札を通り、階段を上がると鉄のように冷たい風とすれ違った。私はとにかく泊まるところを見つけなくてはならなかった。階段を上がりきったところに流しのギターリストがいた。日本人だ。言葉を交わさなくてもわかる。私は表参道で写真を売っていた時期があった。路上で作品を発表する者に妙な連帯感があった。急に仲間を見つけたような気がして、嬉しかった。
「ここでやっても大丈夫ですか?」私は流しの男に尋ねた。
  「大丈夫やと思いますよ。自分もなんかするんですか?」流しは気さくな関西弁で答えた。
「うん、ちょっと写真を並べたいなと思ってさ。」私はバックパックを肩から下ろした。
  「ええんちゃいますか。」流しは写真を広げるのを手伝ってくれた。
こうして流しと私のニューヨーク・ストリート・アーティスト生活が幕を開けた。

 壁にもたれ写真を見る人のリアクションを眺める。釣りに似ている。流しはアルペジオで、シンディー・ローパーの「アーリータイム」を弾いた。足もとの新聞紙が風に吹かれ騒いだ。5分もしないうちに、警官がやって来た。
 「ここ何やっているんだ。」警官は苛ついていた。私たちを追い出す仕事のためで、デートに遅れそうな、そんな感じの苛つき方だった。
 「やばい。」私たちはさっさと荷物をまとめて、ネオンに照らされた42番通りを歩いた。
 「いやー、すまんかったね。いきなり警察来てしもうたや。」流しが悪びれることなく言った。
   「気にしないでよ。どこだったそんなもんだよ。」
 「そうやな。戦いやな。もう一つ良い場所知ってるんや。そこ行こか。」
通りを渡り、ライオンキングのやっている劇場横の地下鉄入り口に荷物を下ろした。
改札に通じるエレベーターがある出入り口。人通りも多い。
 「ここは人気スポットや。いつも誰かに先を取られてしまう。今日はラッキーや。俺は上でやるから、下でやればいい。」流しはギターのチューニングを始めた。
   「OK。また後で。」私は動かないエレベーターを降りていった。エレベーターを歩く時の加速感がなかったため、バランスを失った。立ち上がる瞬間、不思議な力が沸いてきた。
 パネルに張りつけたA4大の写真を壁に立て掛け、広げた布の上にアルバムや詩を並べた。私は冷たい壁にゆっくりもたれて、流しの奏でるギターに耳を向けた。「桜」をアレンジした曲を弾いていた。構内に響く音はとても暖かった。ネオンの隙間を通ってもなお冷たかった風が暖められるようだった。
 すれ違う人々が時々、足を止め写真を見ていった。私はアルバムを見るよう薦めた。私は旅スマイルという名前で活動をする写真家で世界を旅していること、国際経済と会計を勉強していること。モデルとスポンサーを募集していることを手短に説明した。しばらくして、そのまま立ち去る人もいれば、話しかけてくる人もいた。
 「ニューヨークで何をしているの?」私の問いに色々な答えが帰ってきた。
―モデル、医者、俳優、ダンサー、学生―
無限の海に釣り糸を垂らす気分だった。この街には何かいると思った。流しのギターが止んだと思うと、下へ降りてきた。
 「今日はもう帰ろ。手がもう動かないわ。」流しはかじかんだ手をこすり合わせながら言った。
   「どこに帰るの?」
 「チャイナタウンの安宿。狭くて汚いけれど個室で15ドル。そこ行くか?」
   「そうだな。そうしようかな。」
 タイムススクエアーから15分ほどのカナルストリートへ向かった。電車の中でも流しはギターを弾いていた。カナルストリート周辺はニューヨークでも最大の中華街があるところだ。通りに出るとそこは中国だった。看板はほとんど中国語で書かれ、アジア特有の密集と乱雑さがあった。駅から10分ほど歩いた大通りの裏手にその宿があった。名前をサンホテルと言った。中国人労働者、それも中国から来たての中国人がたむろするホテルである。天井からは蝿取り紙が電車のつり革のようにぶら下がり、廊下は体臭と漂白剤が混じったイヤな匂いがした。部屋は薄いベニヤで仕切られ、小さなベッドが置いてあった。
 「まあ、安いから。」流しのその言葉が私には「諦めろ」と聞こえた。
「旅なれしてるから大丈夫さ。バックパッカー魂みせてやるぜ。」
  簡単に荷物を解き、寝袋の中に潜りこんだ。時より隣の部屋からは背骨が折れるんじゃないかと思うほどの咳ばらいが聞こえた。ずっとここで暮らすことを考えると暗い気持ちになった。朝は中国人たちの口論で目覚めた。彼らはいつも喧嘩をしているように話した。実際、喧嘩をしているかどうかは分からないが、かなりの剣幕でどなりあっていた。朝が来た。流しはまだ寝ているようだ。私は新しい街でいつもするように、散歩をした。野菜くずや食べ物の容器が散らばる通りは仕事や学校に行く人で埋め尽くされていた。信号が青に変わり通りを渡ろうとした瞬間、突然、猛スピードの自転車が交通整理にあたる警官とぶつかった。警官は顔を歪め、トランシーバーで助けを求めていた。周りの人間は何ごともなかったように歩いていた。交信を終えたトランバーのビープ音が喧騒の中でもはっきり聞こえた。
 「大丈夫?」声を掛ける私を見て、
   「大丈夫よ。」警官は笑った。倒れる警官を避けるように車が動き出した。
 
 散歩から帰り、流しと喫茶店へ行った。怒ったように注文を取り、コーヒーと肉まんをぶっきらぼうに持ってきた。
「ここはチャイナ・バックスというんや。でも店員がみな中国老人だから爺バックスって呼んでいるんだけどな。」流しは肉まんを半分に割りながら言った。
  「よくこんなところ見つけたね。」
「知り合いがいるんや。昔、大阪のマグニチュードっていうバーで働いてた時のマスターが昔、ニューヨークで店出してて、その頃の知り合いを紹介してもろうた。今度、会わせてあげるわ。」
  「いいね。バーテンやっていたんだ。」
「なんでもやったよ。料理も作ったし、ギターも弾いていたよ。いやー結構、美味しい思いさせてもろうたよ。」流しは笑うと口にした肉まんをこぼしそうになった。
  「俺、大阪あまり行ったことないんだよな。」
「大阪いうても、俺石川出身やで。みんな大学受験する進学校で、音楽の道に進んだの俺だけやったな。大阪の音楽の専門学校で、ギター教えてたりしたんやけど、それだけじゃダメやと思ってここ来たんや。」流しは堅いことを言っても、どこかで抜けてそうな話し方をした。聞いていて肩が凝らないのだ。
  「はっきり言ってアメリカもニューヨークも嫌いだったんだよね。今まで旅したのは中南米とアジアばかり。アメリカ来ても日本の延長線上にある感じがして、面白くないんだよね。」私は濃い目のコーヒーを口に含んだ。
 「ほお、そうなん。自分も中南米行ってみたいと思うてたんよ。今度、色々教えてな。」流しはあえてなぜとうことは聞かない。
  「ただ、ここは勝負するところなんだよ。システムも良く出来ているし。今まで、避けてたんだ。勝負とか。」私はちょっと熱くなった。
 「そうやな。お互いがんばろ。」チップを25セントづつ置いて、席を後にした。 
 昼間はインターネットで募集したモデルや街を撮影し、夕方、駅が騒がしくなる頃から写真を駅で売る日々が続いた。流しと同じ場所でやる時もあれば、別々の場所でやることもある。同じ船で乗り合わせた磯釣り人のように自分でポイントを探しながら、時々会っては挨拶はする。帰りは、インターネットカフェで待ち合わせ、その日の報告をしながら一緒に帰った。稼ぎが多い方がマックのバリューセットを頼み、二人で食べたりした。綱渡りをするような日々は楽しかった。
 警察があまり来ない場所、お金持ちが多く住む地区、寒くない場所。2週間が経つ頃には決まった駅を巡回しながら、写真を売った。売れる日で30ドル、売れない日は一枚も売れない。時々、コーヒーやドーナッツ買ってきてくれる女がいたり、寄付をしても良いかと許可を取ってから、お金を置いていく紳士もいた。警察も私が写真を畳んで、立ち去ろうとすると、静かに手で「そのままでいいよ。」と合図する人もいた。私は何かに包まれている気がした。流しもこの点では、日本との違いを感じていた。彼のギターケースにはいつも30ドルは入っていた。ニューヨークに来てからまだ自分の貯金を使っていないと言っていた。しかし、小銭ばかりが増えて困ると嘆いてもいた。そんな楽しい日も良いことばかりもなかった。夜遅く帰ってくる私たちは宿の住人に嫌われていた。起きて寝に帰るだけだが、居心地は良くなかった。毎回、すれ違う旅に文句を言われた。激しい中国なまりの英語で文句を言われるというのは、とても疲れることだった。そんな宿にも私たちの仲間はいた。まず日本で働いていた経験を持つ中国人とミャンマー人。片言の日本語を話す彼らは、日本人の友達の名前や地名を言っては笑ってきた。口論の間に入ってくれることもあった。
「アイツラ、金ノコトシカカンガエナイ馬鹿」日本にいた中国人は「金」と「馬鹿」という単語だけやけに正確に発音した。きっと、よく言ったり、言われたりしたんだと思った。    
 いつも袈裟をまとった修行僧の老人も優しくしてくれた。ある朝、洗面所て顔を洗っているとタオルを持ってくるのを忘れた。部屋に帰ろうとすると、小柄な老僧は小さなピンクのタオルを差し出した。何もいわないが、やさしい顔をしていた。礼を言ってタオルを返そうとすると、そのまま持っておけと目が言った。どうやら彼は声が出ないらしい。
 もう一人、南アフリカから来た黒人の紳士ともよく話をした。彼は決まった時間に起き、ラジオ聞きながら、身支度をし、ワイシャツとタイをして出かけていった。
 「駅で写真を売っているそうじゃないか。」低い声で正確な英語を話した。
「まあね。」私は彼に写真を見せた。
 「すばらしい。これはロンドンかい?」彼はピカデリーサーカスの写真を見て言った。
「ああ、そうだよ。ロンドンに行ったことがあるの?」
  「ロンドンから少し離れた大学院を出た。心理学を勉強していた。」それから彼は現代哲学や心理学の話しをしてくれた。全部は分からなかったが、彼が学のある人間と言うのは、すぐにわかった。
「なんでこんなところにいるんだ。」私は聞きたかったが止めた。彼は家族の写真を見せ、いつか呼び寄せたいと言っていた。
 「グッド・ラック」彼とはお互いにそう言い合って、分かれた。この街や国がどんなに魅力的でも、ここは彼の居場所ではないと思った。私はここを出ていく決心した。1ヶ月にはメキシコで働く彼女がくることにもなっていた。二人で暮らせる部屋が必要だった。
 翌日、いつもより早起きして、ネットや不動産屋で部屋を探した。私はハーレムよりさらに北のワシントンハイツのヒスパニックコミュニティーに月500ドルの物件を見つけた。私は即座に契約を交わし、翌日から引っ越すことにした。流しにそのことを話すと、彼女がくるまで家賃を割り勘して、一緒に暮らすことになった。男二人、ダブルベッドで寝る。昼は写真を撮り、夜は写真を売る日々が続いたが、いい加減仕事をする必要があった。日本を出る時に7万円しか持たずに出てきてもう2ヶ月。手持ちの金も尽きてきた。
 雑誌や情報誌の仕事募集を見て、電話を掛け、面接をしてもらった。ビザなし、期間は1ヶ月半。最悪の条件だ。もちろん落ちまくった。しかし、就職氷河期を突破した経験は、こんなところで活きた。受かるまでやれば、受かる。そう思って飛びこみで面接をお願いした時もあった。ビザや期間のことで嘘をつこうかとも思ったが、誰かに迷惑を掛けると後味が悪いそうなので止めた。落ちた時は名刺を残し何かあったらお願いしますと頭を下げて出ていった。ある日、面接を受けて10日ほどして高級クラブから電話が掛かってきて、仕事が決まった。夕方まで写真を撮り、夜から働く生活が始まった。クラブは52番通りにあり、日本食レストランの上にあった。そこには日本があった。ママも従業員も日本人、客も大半が日本人。席に座るだけで150ドル、それに加えてボトルを頼むと100ドル、200ドルが簡単に飛んでいく。もちろん席には、女の子がつく。といっても別にイヤらしいことをするわけでもない。ただ、話して時々、肩を組むくらいだ。客は商社マンや社長といった人たちだ。昼にはビシッと決めて働いているのだろう。私の仕事は、店の掃除をしたり、酒を運んだりとすること。8時間働いて60ドル。高くはないが、ビザなし1ヶ月を考えれば、文句も言えない。
   「あの客帰らないだよな。チビチビ飲んでさ。俺なら一気に行くぜ。」オールバックが言った。彼はアメリカに来て5年、この業界も永いようで、いつもビシっとオールバックに決めていた。
 「そうっすね。なんでゴクっといかないんでしょうね?」私が気のない返事をすると、
   「馬鹿だなー。上司のボトルがもうすぐあきそうだから、気を使ってんだよ。」オールバックは悪い人間ではなかったが、話しにいつも毒気があった。
 「あー。自分も来年からリーマンやるんで、ああなるんすかね。」正直どうでもよかった。
   「リーマンてクソだよ。酒くらい自分の金で飲まないとな。」オールバックは言った。
私もこの点では、オールバックと一致いた意見だ。高級クラブと言うところに2種類の人間が来る。それは接待や会社の金で来る人間と、自分の金で楽しみに来る人間だ。接待で来た人間が座るテーブルからはギクシャクした笑いがやってくる。女の子の演技もうまいので、本人は受けていると勘違いしているが、本当につまらない話をする。しかも、誰が聞いても嘘と分かる大きいことを言って、女の子に「わあ、すごい。」言わせる。その後に笑いが起こる。そこにママが「ねえ、何の話?」と席に入ってきて、お酒の注文をする。もちろん払いは客である。そんな客がほとんどだ。
 中には良いお客さんもいる。お洒落で、楽しい話をして、凛と帰っていく男たちだ。となりで聞いていて笑ってしまった。彼らはニューヨークにやってきて、苦労して、成功して、自分の金で飲んでいた。ここで働いている境遇もわかっているのか、ボーイにも酒をおごってくれた。こんな大人になるぞと思わせる人がいた。会社勤めの人でも良い人がいたが、どういうわけか払いは自分で済ませていた。
 「おい。放浪青年。一杯やれよ。」画廊をやっている男は、私に酒を勧めた。
「いただきます。でも、自分すぐ酔っ払うんでお手柔らかに。」
 「おい。青年。日本人も外に出なきゃだめだぞ。そして、もっと色々学ばないと。青年は若いくせに、あちこち行っていて偉いぞ。」画廊はいつも上機嫌の笑みを浮かべた。
「来月からブラジル行ってきますから。また写真撮って来ますよ。」どうも酔っ払ってらしく、顔が熱かった。この後も、画廊と熱い話しが続いた。
 「仕事しなきゃだめでしょ。」スタイリストをやっていたというマネージャーに叱られた。
こんな感じ夜が過ぎていった。

  ある日、冷たい壁に写真と一緒にもたれ、過ぎゆく人たちを眺めていた。足を止めたドミニカ系アメリカンに旅の話を聞かせた。するとボブ・マーリー荷のその男はいいギャラリーを紹介するとメモを残し去っていった。メモには「M」というギャラリーの電話番号が書かれていた。
 翌日、私は凍り付きそうな受話器を耳に当てながら、ギャラリーMに電話した。名前をつげると話はすでに通っているらしく、会って作品を見てもらえることになった。
 約束の日は大雪だった。私は黒いゴミ袋にありったけの写真を入れ、ハーレムのギャラリーMに向かった。トッドと名乗るキューレーターは熱心に、時に笑いながら写真を見た。私は自分が半年間楽園を探しに旅したこと、楽園はなかったが、笑って生きていくことが大事であることを学んだ、そして、将来、自分の楽園を作るために写真を撮り、NPOの会計を勉強していることを説明した。
 しばらくしてトッドから「video shack」のオファーが来た。4人のアーティストがビデオ作品を上映するプロジェクトである。私は4年前の旅で撮った写真をデジタルスライドショーにすることにした。ニューヨークのギャラリーにコネクションを作りたかった私にとってこの話は願ってもみなかった話である。
 その後も、ボブ・マーリーと何度かつるむんだ。ある日彼は、私に金をせびった。ギャラリーの恩もあったので、私は5ドル札を渡した。彼はアパートの一室の扉を叩いた。扉には退役軍人会のシールが張ってあった。扉を開けた老人とボブは激しい口論を始めた。
  「今日は金を持ってきてぜ。ちょっとくれよ。」ボブは私と話すとき違う口調だった。
退役軍人は血相変えて怒鳴り散らした。
「この病気ヤロー。お前に売るものなどない。出てけ。」
ボブはすごすごと部屋を出て来た。定役軍人は汚い言葉を私に言ったのではないと、謝罪した。ボブの目はいつも赤く、ハイになったいた。
 ある日、ボブに電話すると家族が出た。
  「ボブは入院したわ。悪いわ。あなたはどんな友達。」ボブの母親は私のことを悪友ではないかと疑っていた。彼の友達にあったことがあるが、みんな私に薬をせびった。彼に会うことはないだろうと思って、電話を切った。ボブと地下鉄であった時も、少し変だった。写真を食いいるように見ていた。その後もボブのようにハイになった人間が私の写真を気に入り買っていくことが何度かあった。  


 街がクリスマス一色になった頃、来年から働く会社の友達がニューヨークに遊びに来た。ボストンでゼミの発表を終え、ゼミの仲間と観光に来ていた。寒い日だったが、私たちはグランド・ゼロを見学した。

* ***************************************
* ***************************************
「アメリカが大変。歴史が変わる。」突然、さっき分かれた友人から携帯にメールが来た。私は電車の中にいた。車内には帰宅するサラリーマンの姿が目立ち、これと言った変わりもなかった。
「貿易センタービルとペンタゴンが爆撃された。第3次世界大戦かもしれない。」スペイン語の語学学校で知り合った友達は、そんな類の冗談をいう人間ではなかった。私たちは時々かなり真剣に国際問題や社会問題を話し合っていた。大地震が起きた感覚だった。たまりに貯まった歪みが反発する現象。いつか起こると思っていた。
 電車が止まり、無人の駅に向けて扉が開いた。外には新興住宅地が広がり街灯の下をまばらに人が歩いていた。あまりにも当たり前の日常がそこにあった。扉が締まり電車が走り出した。情報だけが瞬時に伝わる世界で、現実と言うものは電車のスピードにも追いつけないでいた。
* ***************************************

 フェンスの隙間から掘り下げられた地表が除いていた。瓦礫はほとんど撤去されていた。
私はやはり来るべきでないと後悔していた。テレビで観た映像が頭に浮かぶ。人々がビルから飛び降り、ゆっくりとビルが崩れていく。その場に来てもなお、現実感がテレビの映像を越えることができないのだ。現場に来たからには、何かを感じなくてはと無理に心をから搾る。夕日が星条旗を揺らし、十字架が逆光を拡散させていた。

『別れと再会』
 長距離バスターミナルは、独特な雰囲気を持っている。誰かが出会い、別れる。その光景はセキュリティーチェックで見送りと別れる空港のものとは少し違う。旅立つ人間と残る人間が交わす最後の瞬間が見られるのだ。熱いキスを交わす恋人たち。握手をし、腕を肩にまわす男たち。子供は抱きかかえる父。それぞれのドラマの幕切れと始まりが交錯する場所。それが長距離バスターミナル。
 今日は流しがメキシコへ向かう日。新たな音楽と手のかじかまない太陽を求め、彼は旅に出る。私は流しが出発するバスの前で待っていた。
  「ああ、おったわ。よくここがわかったな。もう仕事行ってしもうたかと思った。」流しはいつもと変わらないのんびりした関西弁で現れた。
 「おい、あと10分で出発だぜ。手続きは済んだのか。」私が焦ってしまった。
  「そんなんあるのか。」流しはグレイハウンドのカウンターに行き、手続きをして戻ってきた。
 「いよいよ出発や。楽しみやな。ほんま世話なったな。お互いがんばり、また会いましょうや。」
  「おう。それより餞別部屋に置いてあったの持ってきた?」
 「何それ。そんなんあったの?」
  「メモにも書いたし、留守電にもいれたじゃん。」私はちょっと怒ってしまった。
 「ああ、忘れてしもうた。またニューヨーク戻ってきた時に、取り行くわー。」
  バスの出発を告げるアナウンスが聞こえた。
「ほな。そろそろ行くわ。」
 「ああ。」がっしりと握手を交わし、流しはバスへと乗りこんだ。二人のストリート・アーティスト生活が終わった。
  
「遠距離恋愛は続かない。」学食では友達に言われ、テレビではさんまに言われた。私は9ヶ月の遠距離恋愛を終える。バスはラガーディア空港へ向かっていた。早朝のニューヨーク。工場の煙突からは白い煙がゆっくりと立ちこめた。少しずつ形を変える煙の姿が、私に時間の感覚を呼び起こした。
 一羽の大きな鳥が青く冷たく澄み渡った大気をかき混ぜるように飛び立っていった。無数の星条旗は取り込まれるのを待つ洗濯物のように揺れていたやがて少女の咳きを誘ったそえられる母の手が朝靄を揺らす一羽の大きな鳥は青空を旋回していた。

 到着ゲートからウサギが出てきた。初めて会った頃は真っ白だったのに、10ヶ月のメキシコ教員生活で真っ黒になっていた。
 「おっす。」手をあげて、ウサギを呼びとめた。
   「久しぶりに彼女と会うのに、おっす。それだけ?!」ウサギと由来になる前歯を見せて噛みついた。
 「いや。荷物持つよ。」言うことが見つからなかった。
   「そうじゃなくて。変わってないよね。リアクション薄い。薄すぎる。」
 ウサギとは大学のボランティアで出会った。学部も同じで中南米好きということで、親しくなり、付き合いが始まった。遠距離を含めると付き合って2年になる。今日は、ロマンチックにニューヨークで再会と行くところが、さっそく怒られてしまった。
 部屋に戻り、家主やルームメイトにウサギを紹介した。昼は写真を撮り、夜の仕事をするしがないない男を選ぶんだろうという顔をしていた。まったく余計なお世話だと思った。クリスマスと新年を一緒に過ごす予定だったが、ウサギの登場によりこの家に潜む大きな問題が明らかになった。ウサギが来ても夜の仕事を続けねばならなかった。メキシコで10ヶ月過ごしたウサギにとって、ニューヨークの冬は寒すぎた。彼女は部屋で多くの時間を過ごした。仕事から帰って来るとウサギは言った。
 「同居人、人殺したことあるの知ってた?」
「ええ、あいつが。何か悪いことしたことあるって聞いたけど殺しだったんだ。いい奴そうだけどな。それより、今日お客が会社のお茶やらジュースのボトルを一杯くれたよ。」私はお客がくれた野菜ジュースのボトルを見せて笑った。
 「そんなことより、ここヤバイよ。あいつと家主もスゴイ口論してたし、何か変。」ウサギは2年間アメリカに留学していたし細かいニュアンスなども分かるのだろう。私はイヤな予感がした。
 次の日、家主が私に話があるといってきた。
 「お前、あいつがウサギと仲良くしているの知っているか?」家主は怪訝な顔をしていた。
  「ああ、知っているよ。俺が夜いないから、その間相手してもらっているんだ。ここに友達いないしさ。」
 「お前、あいつのことを知っているのか?」
    「まあ昔のことだろ。今はいいやつじゃないか。」
 「お前はあいつのことを何も知らない。いいかあいつに構うな。あいつは3ヶ月も家賃を払っていないし、追い出すにも言うことを聞かないんだ。」それは事態の深刻さ理解しない私に対して家主は苛ついていた。私も流しも始めから家主一家が好きでなかった。仕事もせず家賃だけを頼りに生活をし、ことある毎に金をせびるのだ。こうした賃貸物件の又貸しで生活をしている人が、ニューヨークには大勢いた。
 クリスマス前日、仕事を終え帰って来ると玄関の鍵が取りかえられていた。仕方なくドアをノックしようとする家主の祖母がドアを開けた。
 「シー。誰も中に入れちゃだめよ。」祖母はスペイン語しか話せなかった。

「ただいま。」ウサギは寝ていなかった。
  「おかえり。今日、大変なことがあったの。」ウサギが寄り添ってきて言った。
「どうした?」(大変なこと)というウサギの口癖に、私はいつもの(どうした)で聞き返した。
  「警察が来たの。家主は逮捕されたよ。」
「は。何があったの。」本当に大変なことのようだと思った。
  「家主がアイツをケガさせたのよ。いつもの口論の後に、棒かなんかで殴ったらしい。そしたら、アイツ警官連れてきて。家主は留置所。アイツこれは家主へのクリスマスプレゼントって言ってた。」
「まじで?」私はチープなリアクションをしてしまったことを後悔した。
  「やばいよ、ここ。もうやだ。」ウサギはもう限界だった。
「そうだな。引越しをしよう。」ウサギに約束した。
 
 クリスマスは仕事が休みだ。スーパーでシャンパンとターキーを買い、部屋でささやかに過ごした。外はホワイトクリスマス。雪に反射した光が部屋とウサギの顔を青く照らしていた。
「誕生日はメキシコで過ごして、クリスマスはニューヨークで。不思議な感じだね。」ウサギが言った。
  「ああ、今度は東京かな。ウサギとならどこでもいいけどさ。」私は答えた。外は綿飴のような雪が騒がしく落ち、スチームが妙な音を立てていた。モンタナの山深い雪景色

『黒ぶちとの出会いとピースマーチ』
 インターネットで見つけたルームメイト募集していた気の良さそうなアメリカ人の部屋を借りた。黒ぶちの眼鏡をかけ、地図会社に勤めるていた。彼は1カ月だけの賃貸契約にも、快く応じてくれた。私の写真を気に入ってくれていたからかもしれない。
 「へーい、へい。」黒ぶちはいつもこの「へーい、へい。」で切りだし誰にでも話かけてくる。どこか憎めない気のいいやつだった。黒ぶちは朝には私たちの分までカプチーノを作り、フルーツを勧めてくれた。これでウサギと安心して暮らせる。
  「へーい、へい。今日はお母さんがコネチカットから来るんだ。ああ、緊張するな。」黒ぶちは部屋の片付けをしながら、どこかソワソワしていた。
 「なんで親が来るのにナーバスになるんだよな。」私が笑って言うと、
  「あなたたち結構似ているよ。」
 「どのへんが?」
   「かわいいところ。」ウサギは笑って言った。
  「うるせーな。」私は怒ろうと思ったが、笑ってしまった。
 黒ぶちはアンダーグランジのクラブやイベントをよく知っており、私たちはビールを飲みながら、和服を身にまとい踊りまくった。最も、途中で警察か消防士が来てイベントは強制終了させられるのだが、それはそれで楽しいものだった。
 歳の瀬は、後輩が遊びに来たり、ウサギの知り合いが来たりと人と会っては、忙しく過ぎていった。大晦日にタイムズ・スクエアーを目指したのだが、セントラルパーク付近から前に進めず、遠めに花火を見ていた。
 
 忙しく年末年始を過ごすと、ウサギは一足先にブラジルへ向かった。私はあと3週間仕事をし、ブラジルで会う約束をした。再会と別れを来る返した年末年始だった。ウサギを空港に見送って、仕事を遅刻した日だった。
 「今週末の連休はどうすんだ?」私の遅刻でいつもより多く働いたオールバックが話しかけてきた。
   「え、今週は連休なんですか?」そういえばニュースで言っていた気もした
 「ホントに何もしらねーな。キング牧師の日だろ。」オールバックは氷の入ったグラスを交換して言った。
   「ああ、そうなんですか。ルームメイトとワシントンに行くんすよ。イラク空爆反対のデモに行くんです。」私は灰皿を代えた。すれちがう度にちょくちょく話を進めた。
 「ロス行くやつしらねーか。」
   「ロスに叔母さん住んでますよ。」
 「そうじゃなくて、行くやつだよ。」オールバックの目が三角になった。
   「知らないっすよ。どうしたんですか?」
 「いやー、ロスにいる元カノとより戻そうと思って、チケット買ったは良いけど、来るなって言うんだよ、」
   「それはひどいっすね。ネットで売ったらどうすっか?」
 「そんなことはとっくに試しているよ。まったくどうするかな。」
 オールバックは日系アメリカ人の元彼女とヨリを戻すことを、いつも考えていた。店の女の子を指差しながら言った。
  「あの子もかわいいけど。オーラがないんだよね。俺の彼女なんて、近くにいるだけで良い匂いがするっていうかさ。」 
 「ごちそうさまっす。」私は仕事でもするフリをして言った。
   「おい、いいか。ちゃんと聞いているか。」オールバックは本気で言っていた。  
  「二人ともさっきから何ごちゃごちゃ言ってんの。」マネージャーに叱られた。 
 「みんなアメリカに来る時は夢持ってくるんだよ。」仕事が終わってオールバックが言い捨てた。ビザなしで5年間アメリカで働くオールバック。一度、米国外に出たら最後、再び入国することはできない。入国管理官に捕まれば、強制送還の上、10年間ブラックリストに載る。オールバックには、言いようもない不満と鬱憤が貯まっていた。この店で働く人でしっかり労働ビザをもっている人間はいない。勉強や生活のためとわりきって仕事をしている人もいたが、煮え切らない思いを口にする人も多かった。それでも、みんなアメリカをどこかで愛しているようだった。それはアメリカ国籍を持つ元カノへの復縁を願うオールバックの思いにそっくりだった。
「ピースマーチに行くんだってね。」マネージャーが話しかけてきた。
「ええ。傲慢なアメリカの政治って気に食わないんですよね。」私は答えた。
 「またニューヨークが攻撃される可能性を知ってて言ってるの?」マネージャーは親族と貿易センタービル付近に店を持っていた。
「それでも、市民を犠牲にするの許せない。アメリカにいるとアメリカって正義のために行動している気になるけど、外から見るとひどいよ。特に旅した中南米の人とかアラブの人とか相当憎んでいますよ。」私はちょっと熱くなってしまった。
 「へえ、じゃあなんでアメリカ来たの?」マネージャーは私を試しているようだった。
「システムとして利用できるからですよ。写真やるにしてもこっちのほうが、やりやすいんですよ。それに英語も勉強したいし。」
 「まあ、まだ若いし色々やってきてよ。」若いからとまとめられたことに、少し腹も立ったが私は帰ることにした。
 時々、店の女の子帰ることがあった。
 「日本の大学生っぽくないよね。」バーメイドの女の子が電車を待ちながら、話しかけた。
「ああ、変わり者で通ってるよ。」私は喜んで良いのか迷っていた。
 「それでいいよ。みんな時間を無駄にしすぎ。」バーメイドが言った。ホームの反対側に同業者の日本人が見えた。この界隈には、日本人向けのレストランやバーが多く、深夜のホームにはちらほらと日本人の姿が見えた。
 「前いた店の女なんて、客に持っていかれまくり。ニューヨーク来て、日本とやってることと何も変わってないの。」バーメイドは苦労しながらも、こっちの大学に入学していた。
 電車が来た。向かいの日本人もそうことを言ってそうな気がしてくる。私はいつも持ってきていたギターを弾き始めた。ホームでギターを弾いていても文句を言われないのは、ニューヨークの良いところだった。

 「What do you want?--- Peace ,peace!!!」
「When do you want?---- Now now!!!」マイクを持った先導の呼びかけに、手を突き上げながら「平和だ。今だ。」と叫んで行進した。フォレスト・ガンプが演説し恋人と抱き合ったリンカーン・メモリアルに集合した群衆には、NGO、民族組織、子供から年配の人まで様々な人が来ていた。黒ぶちの母親と弟も来ていた。私たちはピースサインのプラカードやブッシュやフセインのお面をかぶった人たちの間で、シュプレフィコールをあげた。ベトナム戦争以来最大のデモと言われたいたが、私はどこかに無力感を感じていた。時代を突き動かすまでの、強力さを感じられかった。ジョン・レノンのカリスマの登場もなければ、マスコミも完全に政府よりの報道を繰り返していた。ずるずる戦争が始まるような予感に会場が包まれていた。アメリカで生まれ育ったら自分はこのデモに参加していただろうかと考えるとイヤな気分になった。平和。平和。私は少しづつこの言葉が信じられなくなっていた。パキスタンを旅している時に電車で乗り合わせたカメラマンが言っていた。「日本はすごい国だ。原爆を落とされても、怒りを抑えて、耐えた。そして、経済大国になった今も、アメリカと違って他の国に口出しをしない。すばらしいね。」
この手の親日家とは至る所で出会った。私はこの国の姿は選んで得たものだとは思っていない。もっと消去法的な選択であった。だから、凛として平和を勝ち得たものではない。争わないように頭を下げ続けた結果である。その負担のお陰で、平和な国では一日100人近くが働き過ぎと自殺で死んでいる。平和でも戦争でも、世界は残酷。
「PEACE!PEACE!」私は力を振り絞って声を上げた。もう訳がわかないほど叫び続けた。


「へーい、今日はすごかったな。」バスに乗り込むと黒縁が話しかけ来た。
  「あー。何人くらい来ていたのかな?」私はシートを倒しながら言った。
「20万人くらいは来ていたと思うよ。でも、最近新聞はあまりデモのことを取り上げようとしないんだ。」黒縁は申し訳なさそうな顔をして言った。
  「そうか。でもスゴイエネルギーだった。黒縁のお母さんもすごいね。」
「ああ。最高さ。」バスの中では至る所でこう言った会話が繰り広げられていた。バスの暖房が凍りついた体を溶かしだすころ、私は眠りについた。
 ゴムが路面を転がる音の中に時々、継ぎ目を乗り越えた振動が伝わってきた。どれほど寝ていたかはわからなかった。ニューヨークに着く頃、一人が米軍の攻撃が始まった段階で、タイムススクエアーに向けたデモを即座に開始するとアナウンスした。こうして私の反戦デモは幕を閉じた。



 クリスマスの飾りが片付けられ、一層寒々しくなった1月終わりのニューヨークを去ることにした。その前に一度、都会ではないニューヨークを見たいと思った。少し心を冷やしたかった。私は写真学校に通う女とロングアイランド鉄道に乗った。女は整った人形のようなメークをしていた。ペンステーションを出るグリーンポイント行きの電車は恐ろしく空いていた。
 「はっきりいって、こんな寒いのにロングアイランドにいく人なんていないよ。」人形が言った。電車が走り出す。
   「いいよ。殺伐としたところに行きたいんだよ。」私は窓の外を見ながら応えた。視界からビルが消え、1時間ほど走ると木立ちと家が規則正しく並ぶようになった。
 「ある程度の収入がある人はみんなこの辺りに住むのよ。そして、この電車で学校や職場に通うの。」人形が教えてくれた。それから1時間ほどしたところで、電車が止まった。所掌が乗り換えろというので、電車を下りた。次の電車を待っても来る様子は全くない。人形が駅員に聞きに行った。
「3時まで電車ないって。」人形は時計を見ながら言い放った。
  「え、何だって。やられた。」まだ12時前だった。人形はカメラバックから地図を取り出した。駅から海のある目的地はとにかく遠かった。私はとにかく海が見たかった。一番近くの海辺までタクシーに乗ることにした。
 「写真を撮るのかい?」運転手は私のカメラを見ると言った。
「ああ。海を取りたいんだ。」シャッターを押す振りをしながら応えた。
 「何もないぞ。夏にくれば良かったのに。」運転手はバックミラーで私を見た。
「この人がどうしてもさみしい景色を撮りたいんだって。」人形が言うと、運転手はバックミラーで確認するように私を見た。
 海沿いの公園でタクシーを降りた。海へと伸びる道へは時々、仮免中の教習車のようにゆっくりとカーブを廻る車が通る以外、ひっそりと静まり帰っていた。シャッターが押しにくいので、手袋を外すと何かの合図のように寒さがやってきた。すると、押し黙った地面から絡まりつくツタのように、冷気がまとわりついてきた。寂しい景色と寒さは互いに邪魔することなく存在し、すべての記憶を消し去る魔女の住みかのようだった。そこには親密さというものが、一切存在しない。
 凍り付いた池の前に立ち、シャッターを切った。カメラが悲鳴を上げたような音だった。続けて、ベンチや公園を撮った。全ての景色は完全に静止していた。ファインダーから目を離す瞬間、海水浴客がごった返す夏の情景が容易に想像できた。
「なんだか少し分かったような気がする。」人形が言った。トムソーヤがいたずらをした罰にペンキ塗りをするような塀が海へと続いていた。足下には、鳩の死骸があった。雪の上で横たわる鳩は志半ばで息絶えたような顔をしていた。私は静かにシャッターを切る。
「何がわかったの。」私は顔を上げて聞き返した。
  「あなたが。ねえ、こういう風に浸るの止めた方がいいじゃない。」人形は怒っているようだった。とどめを指すかのような冷たい風が吹き抜けた。


「雨の似合う国へ」
 サンパウロは今日も雨だった。部屋には窓がなかったが、ニオイで分かる。土地の記憶のようなものが、沸き上がってくるのだ。となりの部屋からは甲子園の結果を伝えるニュースが聞こえてきた。
 戦前から多くの日本人が豊かさを求めてこの地にやってきた。荒れ果てた農地を耕し、学校を作り、町を作った。皮肉なことに彼らも彼らの子孫も日本の豊かさを象徴した高度経済成長期とバブルを経験していない。そして、戦争で焼け野原になることもなかった。昭和初期がつつがなく続いていた。小さな商店が軒を連ね、店主と買い物客が世間話をしている。馴染みの登場人物の平和でありふれた毎日を描いたアニメシリーズを見ているようだった。ここだけで完結した時間が流れていることを遠くに浮かぶビル群が教えてくれた。流れのない深い淀みのような場所だ。再び予算不足のドラマのような大粒な雨が降ってきた。トタンの上で煮立った雨粒がはじけ飛んだ。深い緑の縁を歩く水滴は、涙のようにこぼれ、すべての物語が始まった。通りを歩いていた人は生まれて初めて経験したことのように、右往左往している。どこか遊んでいるようにも見える。小鳥は戦場を逃げ迷う兵士のように、電線を往来していた。どこか諦めたようにも見える。車が水しぶきを上げながら、曲がり角をまがる。斬新な車のコマーシャルのようにも見える。コーヒースタンドに駆け込んだ男は、甘めのコーヒーを口に含んで、見事に苦い顔をした。雨の味を噛みしめたようにも見える。雨は緩慢な時を送る人々への天罰のようでもあり、完結した時に生きる人々に与えられた儀式のようでもある。混乱を見届けた雨は遊びに飽きた子供のように大人しくなった。止み方が、誰かが蛇口を閉めているようにわざとらしい。通りにそびえる真っ赤な鳥居の横には、濡らされたキョウチクトウの花びらが燃えていた。店主が仕舞い込んだ商品を軒先に並べる。ときより水泳の息継ぎのように、ちらりと顔を空に向けた。うなる車の音が辺りを支配すると、町は再び緩慢な流れに身を置いた。

 天気の良い日曜日だった。サンパウロの中心に位置するセー広場で、アーティストが作品を売っていると言うので、出かけてみた。木漏れ日は湿った黒い土の上で、割れた鏡のような光が海の底に注ぐように揺れていた。至る所が作品を広げられていて、立ち止まる人たちにアーティストが作品の説明をしていた。どのアーティストも胸に顔写真付きのプレートを付けていた。聞くと、展示するのには許可証がいるらしく、公園の事務局は日曜はやっていないそうだ。広場にはアクセサリーや串焼きを売る露天も出ていて、家族連れや若いカップルで賑わっていた。日系人の出店でピザのような衣がついた天ぷらを頬張っていると、身なりのきれいな初老の男が話しかけてきた。
 「写真家かい?」彼は私のカメラを見て言った。
「ああ、まあプロじゃないけどね。」私は微笑みを浮かべて応えた。
 「いいカメラだ。ここは泥棒が多いから気を付けなさい。」彼はカメラを指さして言った。
「わかったよ。ありがとう。」
 「ところで、何をしておる?」私は、写真を飾ろうと思ったが、許可証がないので困っていることを話した。すると初老の男は、髭の生えた優しい笑顔を浮かべて、着いてくるように言った。公園を出た街路樹沿いの道で、彼は立ち止まった。そこには青い抽象画が数点展示したあった。
 「ここのわきでやればいいさ。」老人は額縁の足と街路樹の間を指さして言った。